2011年7月号
特集1 - 復興に大学の力
東北大学
大学の蓄電設備で避難所の照明、情報機器へ電源供給
顔写真

田路 和幸 Profile
(とうじ・かずゆき)

東北大学大学院
環境科学研究科長


小さな避難所には物資が届いていなかった。われわれはリチウムイオン電池でLED照明を設置した。地域によっては太陽光パネルも同時に活用し夜間の電力を賄った。

3月11日の東日本大震災は、誰もが経験したことの無い大きな震災である。地震発生当初から停電、断水、都市ガスの停止となった。まずは、学生と職員の安否確認、そして帰宅できない者および大学への避難者を被害の無かったエコラボ(平成22年6月に完成したエコハウス)に集め、緊急物資の提供、さらに太陽光発電・蓄電システムによる最低限の照明の確保と情報機器に限定した電力供給に設定を変更する作業を行った。このようにして、研究科の職員も学生も余震が続く中、安定を取り戻していった。一方で、小型液晶テレビに映った津波の衝撃的な映像は、東北大学の教職員を被災者でありながら被災者ではいられないという気持ちにさせた。

小さな避難所に物資が届かない

一夜明け、大学も甚大な被害を受けていることが分かり、度重なる余震の中、復旧作業を開始した。仙台市中心部に位置する大学に電気が戻ったのは、震災から4日後であったと思う。このころには、沿岸部の津波による甚大な被害の情報も詳細に得られるようになった。また、大学に集まる職員や学生の間で、今自分たちにできる支援は何かという議論が始まり、その中で支援物資を集めて届けよう、大学所有の蓄電設備を被災地に届けようといったことが決まった。

しかしながら、どのような手段で届けるかも手探り状態であった。市や県の知人に連絡を取ってもわれわれのような小さな活動に対応する余裕は無かった。自分たちで被災地に向かうにもガソリンが無い状況であった。

被災地の生の情報収集を続け支援活動を開始したのは、震災から2週間たった3月25日である。まだガソリンは手に入らず、借り上げたタクシーに蓄電設備を乗せ、石巻の渡波(わたのは)中学校と石巻市の相川地区に向かった。現地に行って分かったことは、メディアの報道と現地の姿は異なっていることであった。

写真1 石巻市渡波中学校での作業の様子

写真1 石巻市渡波中学校での作業の様子


写真2 太陽光パネル設置の様子

写真2 太陽光パネル設置の様子

メディアに取り上げられた大きな避難所には大量の支援物資が届くのに対し、近隣であっても小さな避難所には物資が届いていない。市内もがれきを重機で取り除き、どうにか道が確保されているだけだった。まさに、町は映画で見る廃虚であり、初めて見る光景にぼうぜんとするだけであった。情報は限られており、われわれが提供できる小さな電源を有効に利用してもらえる場所を探すにも、現地で数カ所の避難所を回るといった状況であった。蓄電設備を提供した渡波中学校の避難者は、震災後、ディーゼル発電機もなく、夜は懐中電灯で過ごしていた。そこに、充電したポータブル型のリチウムイオン電池4キロワット時と手作りの60ワット相当の明るさのLED照明を10カ所に設置し、夜間照明と携帯電話等の情報機器への電源供給を行った。渡波地区は、石巻市役所からさほど離れていないため、充電器を石巻市役所内部に設置し、そこで電気を充電して利用することになった(写真1)。

これを手始めに、北上町相川地区や北上町十三浜大指地区に同様のシステムを提供した。北上町の近くには、この時電気が来ていなかったので、太陽光パネルも同時に設置して自然エネルギーで夜間の電力を賄うことにした。写真2から分かるように、被災地の環境に合わせた一時しのぎの設置になっているが、3カ月たっても故障がなく、順調に稼働しているようだ。

われわれには、同じ地区内での支援格差とともに、地域ごとの支援格差の解消も大きな課題であった。例えば、石巻地区や南三陸町等は大勢のボランティア活動家が支援しているのに対し、大学近郊の地区(塩釜~山元町)への支援は手薄な状態が多く見受けられた。そのような中、本研究科の学生が中心となって、東北大学地域復興プロジェクト“HARU”を立ち上げた。このプロジェクトでは、さまざまな避難所への物資の運搬、山元町等の近郊の町の避難所支援や泥出しなどさまざまな支援活動が展開された。個々の教職員ならびに学生は個別の支援活動を今も継続的に行っている。

被災地住民と町づくり探る

2カ月を過ぎたころから復旧から復興への気持ちが被災者にも起こってきた。被災地には過疎地域が多く、数多く点在しているのが復旧復興を妨げている。被災地区ごとの被災者の考えや年齢層も異なる。また、津波の被害のあった場所から安全な場所での復興を考える必要もあり、復興は、新しい町づくりになるわけである。

今回の震災からの復興は、日本の研究機関のポテンシャルを集結して臨まなければならないし、知の拠点である大学は、復興のリーダーシップを取らなければならないと考える。政府も災害に強い環境調和型の町づくりを行うと発表しているが、日本にはその実例はない。単なる建築土木の知識のみの町づくりではない、理想の町づくりを実現するには、被災地の中心大学であり総合力を有する東北大学の使命は大きい。

われわれ環境科学研究科の教員も、被災地の方と新しい町づくりを目指した話し合いを始めている。自然エネルギーを導入し、コンピュータ制御されたスマートハウス、スマートシティ、さらに地元の資産を活用した産業育成も行う必要がある。この新しい町づくりには、大学が所有するシーズを素早く実用化に結び付けることも必要である。地元大学のみならず、全国の大学や研究機関のシーズを利用することも必要だ。

東北大学は、被災地の環境に適合した町づくりのグランドデザインを地方自治体と協力して作成し、それに基づき、全国のみならず全世界からの知を集め早い復興を目指す必要がある。大学人にとっても初めての経験であるが、多くの困難を乗り越え早期の実現を推進するのが地元大学の社会貢献と考えている。