2005年1月号
海外トレンド
欧州にみる産学官連携ブームの「揺り戻し」
(全2回)
第1回◆スウェーデン-遅れて来た大学改革
顔写真

田柳 恵美子 Profile
(たやなぎ・えみこ)

本誌編集委員/
社会技術ジャーナリスト・
サイエンスコミュニケーション
スペシャリスト


サイエンスパーク「IDEON」の輝かしい成功

南スウェーデンのルンド大学に隣接する「IDEON(イデオン)」は、1983年に、スウェーデン初のサイエンスパークとして創設され、世界トップレベルの成功を収めてきた。現在、3サイトに林立する大小16棟のオフィス棟・研究棟に、情報技術(IT)とバイオ系を中心に約200社、2,200人余りが入居しており、うち8割近い企業が大学と密接に連携している。この20年間の入居企業は、のべ500社、そのほとんどの企業がビジネスに成功し、ここを巣立っていった。失敗した企業はわずか30~40社ほどだという(数字は2003年末現在)。

IDEONの特色は、州政府や大学当局も資本参加はしているものの、当初から民活主導で、市場と資本の論理をベースに展開を行ってきた点にある。そもそものアイデアは、地域の産学官の、30~40代の6人のキーパーソンたちのインフォーマルな議論から生まれた。これを、資本家たちが強力にサポートした。IDEON創設にあたって、財政的・精神的な支柱となったのが、スウェーデンを代表する企業、イケアの創業者であるイングヴァル・カンプラード氏や、エリクソンの経営者たちである。

写真1

IDEONの初代CEOであり、現在はルンド技術移
     転財団CEOを務めるスベン-トーレ・ホルム氏。
     後ろの壁には、若き6人のアントレプレナーたち
     が、造成前のIDEON計画地にテーブルとイスを
     出して、ピクニックに興じる写真が飾られている。

6人の若きアントレプレナーたちの1人で、設立当初から1997年までの14年間、IDEONの全責任を担ってきた最高経営責任者(CEO)スベン-トーレ・ホルム氏は、当時、地元政府の若手技術官僚だった。事前のネゴシエーションの中で、出資者たちは、彼にCEOを一任することにする。ホルム氏は、前職を辞して、この任務に全権をもって臨んできた。以来、中小企業やスタートアップ企業の入居勧誘から、インキュベーション(創業支援)のための総合的な支援体制づくり、大学研究者との橋渡しまで、ホルム氏のらつ腕ぶりは遺憾なく発揮されてきた。エリクソンも、IDEON設立当初から、次世代モバイルの研究開発プロジェクトを入居させるなど、背後支援を行ってきた。右肩上がりの成長を遂げてきたIDEONだが、とりわけ1997年からの成長はすさまじい。97年当時、3万5000m2ほどだった総床面積は、増設に次ぐ増設で、いまや3倍の10万m2の規模にまでなった。この急成長の背景には、1994年に、IDEON傘下に新たに設立された「ルンド技術移転財団」の存在がある。名前こそ技術移転財団だが、その実体は、1億6000万SEK(約25億円)の初期資本を元手とするベンチャーキャピタルである。IDEONは、スタートアップ企業への直接的なファイナンシャルサポートを強化した。財団の投資先企業は、ルンド地域のみならず、スウェーデン全土、国外にまで及んだ。1997年には、初期ステージへの投資に的を絞った「テクノシード」を財団傘下に設立し、さらに戦略を強化する。2000年末までに、財団の保有資本は165%にまで増大し、サイエンスパークの取り組みとしては、他に類を見ない収益を得るに至った。

Pull型先行者と、Push型追随者との「対立」
写真2

IDEONレセプションロビー。白木を基調とした、
     北欧らしい温かな雰囲気の内装である。



写真3

大小16棟のビルディングに、約200社の企業が
     入居する。ほとんどは社員10人以下のスタート
     アップ企業である。



写真4

ルンドは、大学の中に町があるといってもいいよ
     うな、ごく小さな大学城下町である。大学の本講
     堂は、町の中心の公園内にある。



写真5

2004年夏、IDEONを訪問した際、私が期待していたのは、輝かしい成功者の声であった。しかし、ホルム氏の表情は複雑で陰鬱(いんうつ)だった。この後には、ルンド大学のリエゾンオフィスを訪ねる予定だったが、ホルム氏には、「きっとあなたは、私がこれからする話とは、真っ向から対立する話を、あっちで聞くことになると思うから、覚悟しておいてね」と、のっけからカウンターパンチを食らわされた。ホルム氏によれば、大学のリエゾンオフィスとは、これまでは機能分担をしてきたはずなのに、2004年4月に、突然、インダストリアルリエゾンオフィスから「イノベーションオフィス」と名称を変更し、技術移転サービスを拡充する方針を打ち出した。「すでにIDEONに十分な体制があるのに、なぜ重複した機能を持とうとするのか、実にバカげている」と、ホルム氏は、不満の声を隠そうとしない。

実際、ルンド大学のイノベーションオフィスでは、大学としての新しい構想が説明され、IDEONの業績に対する敬意の言葉は一切聞かれなかった。その代わり、「スウェーデンでは、いまだ特許は教官個人の帰属であるが、世界の流れをみても、早晩、法改正が議論されるべきである。ドイツですら、改正されたのだから」という、制度改革への強気の発言があった。しかし、先のIDEONの成功を支えてきたのは、原則個人帰属の制度の温存をはじめとする、自由放任の市場原理アプローチである。ドイツでは1990年代に大学発スピンオフ企業数が急増したが、2002年初めの法改正で、大学発特許の原則機関帰属のルールが導入されて以降、大学教官等の起業モチベーションが低迷していると聞く。スウェーデンでは、現状の制度が、経済成長にうまく機能してきているため、政府はあまりこの問題を論じることに積極的ではないようにみえる。しかし、この10年間に大学間競争が激しさを増すなかで、大学当局は自らの財政基盤の見直しに迫られており、遅まきながら制度改革の声が上がりつつあるようだ。

対立の背景には、資本主義と社会主義がモザイク状に交錯する、スウェーデン独特の制度的環境もある。この20年間に推進してきた、行けるものが先に行くPull型のアプローチで行くのか、あるいは全体の底上げを考える、Push型のアプローチへ移行するのか、スウェーデンの産学官連携は、今、微妙な揺り戻しの中にあるようだ。