2005年3月号
特集1  - 地域活性化と産学官連携
地域活性化仕掛け人の手法とは?
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野長瀬 裕二 Profile
(のながせ・ゆうじ)

埼玉大学地域共同研究センター
助教授 学術博士


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古川 猛 Profile
(ふるかわ・たけし)

月刊誌「コロンブス」編集長




司会(編集長) お二人が「地域」に目覚められたきっかけは何ですか。

野長瀬 私は東京で生まれ育ち、企業で働いていましたが、群馬県の大学に移り、初めて生活と仕事の範囲が極めて一致している文化圏、生活圏を体験しました。そこには地域の誇りやアイデンティティーがあり、自分たちの地域をどう良くしたらいいか、ある程度のコンセンサスのもと、熱心に活動している人たちの輪の中に入ることができて、私の今の活動につながっています。

また私は事業企画屋として、企業の利益を出すため、設計VEの仕事をしていました。例えばある部品を無駄だといってカットすると、その部品を下請けで生産している地方の企業の仕事がなくなります。つまり、東京の私が決めたことが、地方の縁もゆかりもない人たちに大きな影響、リスクを与えていると痛感しました。逆に、地方で一生懸命、自分の会社や従業員の将来を考えて努力しているのは、強い生命力を持つ企業です。こちらが尊敬すると、向こうも私を大事にしてくれるということで、地域の力ある会社との関係が始まりました。

現在、埼玉大学では、産学連携から知財管理、理工学研究科の技術教育、インキュベーションと何でも屋ですが、基本はどう社会に役立つかという視点で仕事をしています。地域というと、普通、自治体とか、行政の範囲を連想する人が多いかもしれません。私はそうではなく、日常的な生活エリアで活動している人間の方に関心があります。

古川 たしか1988年、農林水産省の都市農村交流実態動向調査分析委員会の委員を務めたのが“地域”への入り口でした。それまでは都市と農山漁村との交流には興味がなく、むしろ大手企業や大都市が大きくなれば、日本も大きくなると信じていました。ところが、この委員会を契機に考えが変わりました。例えば、経済大国になった日本を47都道府県別に見ると、99年当時、東京都は韓国に、首都圏全体では中国に、鳥取県ですらドミニカのGDP(国内総生産)に匹敵し、日本は47の国家群に相当すると思ったのが、地域に目覚めたきっかけです。

さらに、福島県とフィリピンのGDPはほぼ同じですが、福島県の郡山とフィリピンのマニラを比較してみてください。どっちが元気な街かと聞けば、絶対、マニラだと言うでしょう。では、この印象はどこから来るのかというと、日本は明治以来、中央に片寄り、経済、政治、行政を護送船団方式でやってきたからではないかと。地方は国の下請けに過ぎず、お金がなくなれば国に頼り、その結果、不自由になったのです。だからこそ、これほどに地域経済とか、地域振興の必要性がいわれ、規制緩和や特区構想、道州制の議論が起こってきたのです。結局、中央にしがみつくことの限界に気づき、そこから脱出するための試みが始まったのです。

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左から古川 猛氏、野長瀬裕二氏。

今回のテーマは、地域活性化の手法は何かということですが、平成の時代に合った手法はなかなか見つからないと思います。というのは、問われているのは手法よりも、平成の時代にあった日本型の地域構造をつくり上げるマインドの形成、それがまずは必要だからではないでしょうか。

野長瀬 雑誌などに産学官連携のノウハウみたいな話がときどき載っていますが、私が思うに結局は、あることをこうと決めたら、本気でやるかどうかのマインドだと思います。古川社長と私とで波長が合うのも、そういう点だと思います。

司会 産学官連携についてはどうお考えですか。

古川 日本には未登録も入れると会社は約400万社ありますが、産学官連携の対象とすべきは、大手4,000社ではなく、残りの大多数の企業です。私は、それらの会社にこそ潜在能力を感じるとともに、日本の浮沈がかかっていると思います。

今、日本は非常に苦しい状況にあって、起業率もたったの3%です。このような状況だからこそ、いわゆるコミュニティビジネス、それも介護系のようなビジネスも産学官連携の対象にできるか、それが問われている気がします。ここに神経を集中できるかどうかが、日本経済の分かれ目、地域経済の流れを変えることになると思います。例えば、七福神めぐりなどは「観光産業」かもしれないが、廃線めぐりなどの産業遺跡を訪れる観光はどう捉えたらいいか、私は「産業観光」だと提唱しています。かつての軍艦島(長崎県長崎市)を船に乗って見に行く人までいるように、崩れゆくものに生命を感じる人がいますし、悲しみもエネルギーの素になることがあります。産業遺跡をどう観光資源化するか。これも産学官連携の対象のひとつで、何も特許件数を競い合うだけではないと思います。

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「イノベーションを起こすのは基本的に企業家で、
     彼らがいかに連携するかが重要です」
     (野長瀬裕二)。

野長瀬 ITや高速交通機関が発達し、地域の定義が今と昔では非常に違います。埼玉県は人口700万人ですが、いわゆる「埼玉都民」が約300万人もいます。しかし、埼玉にいいものがあれば、どんどん周辺から来てもらえるのではと思い、最近、さいたま新都心で「新都心イブニングサロン」を設立しました。地域間競争の時代になると、地域の産学官連携は、それによって広域的な吸引力がある地域になれるかどうかが問われていくのではないでしょうか。

「新都心イブニングサロン」の最大のミソは、ただ人数を集めるのではなく、やる気のある方を集めることです。実際、まったく広告していないのですが、私が訪問して力があるなと思った企業に、埼玉のほか、東京、群馬、栃木、新潟からも参加していただいています。地域振興の基本はイノベーターの量と質です。イノベーションを起こすのは基本的に企業家で、彼らがいかに連携するかが重要です。

「新都心イブニングサロン」で弱い連結ができて、ビジネスのいいネタが出てきたときに、それをどう強い連結につなげていくか。ここに産学官連携のスキルが求められますが、私は個人のスキルとともに、地域の総合的な意思が働くことが大事だと思います。そのためにサロンでは、県庁のやる気のある職員や、市の財団のトップの方にも入っていただき、私の活動をサポートしていただいています。

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「地域がほしいビジネスをつくりあげていく、それ
     が地域経済の核心だと思います」(古川 猛)。

古川 地域経済という場合は、商業(産業)資本だけではなく、そこに社会資本がどう合流していくかが問題です。例えばフクオカベンチャーマーケットのように、民間資本に福岡県という社会資本が加わり、みんなでつくり上げていった。これが地域経済だと思います。つまり、地域がほしいビジネスをつくりあげていく、それが地域経済の核心だと思います。これまで地方は、都会から大企業を誘致することに腐心してきましたが、これからは少額な資本金を持ち寄って、産学官みんなで会社をつくることも意義があると思います。それを促すためにも、商法が変わり、会社といえば株式会社だけになります。経済の活性化を図るために39通りの会社の設立方法が想定されています。ならば、どの会社形態がいいか選べるようになりました。選択眼が問われてきます。

司会 古川さんは『コロンブス』*1という雑誌を編集、発行しておられます。雑誌を継続していくのは大変なのに、なぜできているのでしょうか。「栽培産業」のようなキーワードを探し出して、産学官連携で新しい主張をされているからと私は思っているのですが。

古川 木(産業)を植えてもなかなか花が咲いてくれない。なぜ咲かないのか調べると、土壌(地域)に問題があった。ならば、土壌改良までやらなければいけないということです。

「産業栽培」をするにはどうしたらいいか。そのひとつの実験として、NPO法人「ふるさと往来クラブ」をつくりました。そこでは、都市(中央)と農山漁村(地方)の交流を通じて、新しい産業栽培の仕組みをつくろうと運動しています。だから、そういう運動とメディアがセットになっているのが面白いと思えば、雑誌は売れると思います。

司会 お二人の考えるコーディネータの役割とはどのようなものでしょうか。

野長瀬 民間にはもちろん、公的機関の中にも、コーディネートの仕事が好きで本気でのめり込んでいる人がいます。そのような人たちと話していると、核になる人はある程度ピュアで、深く物事に突っ込むことが苦にならない方がいいのではないかという結論に行き着きます。産学官連携において、いわゆる腕のいい方というのは、こういうパターンがわりと多いと思います。

実はコーディネートや産学官連携のマッチングの仕事は、ピュアにやるほど孤独になっていく部分があります。企業はそこら辺がわかっています。このコーディネータはサラリーマン的に仕事をしているか、一生懸命しているか、正しく評価してくれます。公的機関や大学の内部でも、そこら辺がわかってもらえるか。つまり、企業の評価と公的機関、大学の評価が一致しているか。ここがその地域の器ではないかと思います。

古川 例えばTMOとか、TLO(技術移転機関)、NPO(特定非営利活動法人)とか。あるいは、農家民宿とか、農家レストランみたいに、農村風景をも商品化するという今までにない新しい発想をできるかどうかが、コーディネータの条件だと思います。これらは地域経済のイノベーションのキーワードと考えています。まず、こういった言葉に敏感な人がコーディネータになれると思います。

ただ、ホントウに地域経済を元気にするには、やはりファンドが必要です。それを用意するのもコーディネータの役割かもしれません。例えば、「無担保、保証ナシ」という金融の仕組みを考えるコーディネータがいてもいいのではないか。事実、多摩中央信用金庫は、担保ナシで、2003年1月から5月の5ヵ月間で5,000件、合計200億円近くも貸し出すという仕組みを考え出した常務理事さんがいました。この方は行員ではあるが、金融のコーディネータといえるかも。ちなみに、その年の10月時点では焦げつきはたったの1件だったそうです。「多摩にしかない企業を育てるためのファンドがある。それがうまく働けば、地域も伸びていきます」といえる行員が出てきたそうです。単にお金のファンドだけではなく、人のファンドもできたということです。

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江原秀敏氏(司会/本誌編集長)

ところでNPOファンドというのがあります。米国で1980年代にNPO活動によって、200万人の雇用を生み出し、1億~10億円のNPOバンクもでき、今や、その数は400行になっているそうです。一方、日本はNPOができてもなかなか雇用が生まれず、NPOバンクの例も少ない。しかし、10万円ずつ出し合う人が1,000人集まれば、立派なNPOファンドができます。それで、自分たちがやりたいことをやる。こういった仕組みづくりまでを実現する、これがこれからのコーディネータの仕事だと思います。

野長瀬 ファンドとともに、私が今の産学官連携で未成熟だなと思うのは、みんな、組織の一員としてやっているところです。ほんとうに成熟した産学官連携は、地域を基盤にして活躍する個人のウェートが高まる方向に行くのではないかと思います。NPOは個人のウェートが高い組織ですから、その1つの方法と言えるかもしれません。「国の補助金がなくなったから、コーディネータをやめます」ではなく、地域に思い入れがある個人が、どの組織にいようと継続して活動していくという姿が求められると思います。

もうひとつ、少子化の中で国が経済成長しようとするなら、生産性の高い個人のウェートが高まっていかざるを得ません。旧来の生産性の低いセクターから成長分野への人の移動も生じます。そうした成長分野に身を置く人たちは忙しい。忙しい中でも、あのコーディネータと一緒に仕事をしたいと思われる存在にならないと、コーディネート活動は成り立たなくなります。国から余裕のある部分がそぎ落とされていくと、ほんとうに価値のあるものしか、将来は残らないでしょう。

司会 地方大学が、東京の企業との関係づくりのため、東京事務所を構えていますが。

古川 NPOによるアンテナショップ活動を16年間やってきたのでよくわかりますが、自治体が出展(店)したアンテナショップを訪れて、店員にその地方のことを聞いてみてください。説明できない人が多いはずです。大学も、ふるさと産品と同じで説明商品です。だから、その大学を理解していて、短く適切に説明できる人を置かないといけません。

さらに、その説明に物語性がないといけません。もちろん東京の大手企業とジョイントし、何かやりたいという気持ちはわかりますが、例えば大田区のモノづくりの職人さんたちと、何かやりたいという物語があってもいいだろうと思います。あらためて東京事務所を開設した理由を鮮明にしたほうがいいと思います。正直いって、目的や物語性がわからないからです。これではコラボレーションにはなりません。

ならば大学には広大な敷地もあることですから、大学内に工場のひとつでも建てたらどうかと思います。そして、蓄えてきた“知財”や技術を地域に再配分していく。このほうが、これから大学がやるべき産学官連携のあり方ではないでしょうか。

野長瀬 地方の大学の方とお会いして思うのは、ほんとうに優れた方はどこに出ても恥ずかしくない。どこにいっても尊敬され、人脈を構築できます。問題は、その方の人脈や能力という個人の財産を組織や地域の財産にできるかです。特殊な人脈や能力のある人たち——必要ならそうした人を東京から呼んでも構わないと思いますが——を応援していかないと、地域や組織の社会的共通資本にならないでしょう。

司会 どうもありがとうございました。

*1東方通信社「コロンブス」
http://www.tohopress.com/index.html