2005年10月号
産学官エッセイ
産学官連携を取り巻く7つの幻想
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宮田 満 Profile
(みやた・みつる)

日経BP社 バイオセンター
編集部長



わが国のバブル崩壊後、失われた10年を回復すべく、大学に熱い視線が注がれた。

まるで、明治時代に文明の配電盤(司馬遼太郎)として設置された帝国大学が、お雇い外国人と留学組の教授を核に、次々とヨーロッパ文明を導入し、工業国としてのインフラを整え、近代的な保健医療制度をもたらし、実感として文明開化を国民が感じ取れた時代の熱気が戻ってきたようだ。

東京ばかりでなく、今や地方においても文部科学省と経済産業省が進める知的クラスターや産業クラスター形成のエンジンとして産学連携が一種のブームとなっている。

しかし、「産学連携」、「産学連携」とおまじないのように唱えれば、何かが解決するという楽観的な期待とは裏腹に、この10年、産学連携が必ずしも上手く機能していないこともまた、事実である。

2005年1月からインドで物質特許が施行された。先行する中国を加え、今や全地球的に製造業資本主義から知識資本主義へと変貌する大きなうねりの中にわが国も放り込まれている。製造業資本主義で80年代にあまりにも成功したツケをわが国は支払っている。企業もそして大学も知識資本主義への転換にギシギシと音を立てるように苦労している。そして産学連携こそが、わが国が知識主義へと変貌する鍵を握っているのだ。

にもかかわらず、どうやら私たちは産学連携でボタンの掛け違いをしているようだ。ここでは思いつくまま、そのボタンの掛け違い、つまり、産学連携の7つの幻想を書き連ねてみたい。私たちがその幻想から覚め、現実に立ち戻る時、わが国の産学連携は稔りの時期を迎えると考えるためである。

幻想1. 大学の実用研究が役に立つ

産学連携の掛け声の下、工学系や農学系などの応用科学系の教官が元気になっている。しかし、研究成果の中には、企業でも開発可能な研究テーマやアプローチが少なくない。企業にとっては、こうした大学での研究はあまり魅力的ではない。自社内でもっと迅速に、効率よく研究することが可能であり、しかも、社外に情報が漏れることもないためである。

大学の教官は企業が望む応用研究を意識する場合が多いが、企業が真に大学に求めているのは、もっと革新的でリスクの高い研究である。企業ができない、よりファンダメンタルな研究を大学が進めることが、産学連携の王道である。企業の下請けに大学がなるとしたら、産学連携は何の意味ももたらさない。

幻想2. 大学に持ち込まれた実用研究は学問的成果を生まない

大学教官の中には、産学連携は本来の責務ではなく、学問的にも成果を生まないので、反対はしないが、できればかかわりたくないという日和見派が多数を占めているように見えるが、果たしてそうだろうか。

古い例だが、ジュール熱は砲身を削る作業を見て発見され、熱力学へと発展した。パスツールは近隣のワイン業者が酸敗で困っている問題を持ち込まれたことから、腐ったワインに含まれる酒石酸の結晶に左右対称の2種類が存在することを発見、光学異性体という学問的な業績に結びつけた。社会が困っている問題にこそ、従来の学問とは非連続的な発見を行う機会がある。要は研究者の才覚と献身次第である。大学は井の中の蛙とならず、門戸を開放し、社会が直面する困難を解決することに貢献すべきなのである。

幻想3. 大学の研究を特許で評価可能

某私立大学の総長が音頭を取り、特許出願300件を目指したと聞いた。しかし、大学の研究は本当に特許で評価できるのだろうか? もちろん、非連続的な技術革新や研究成果は、基本特許に結びつく可能性も強い。だからといって特許件数が多ければ、産学連携のシーズが多いとは必ずしも言えない。

まして、出願だけでは、論文のようにピアレビューもなく、単なる作文でも件数を稼ぐことが可能だ。最近のようにリサーチツールの特許出願が増え、大学や公的研究機関の研究の阻害をするような事態を迎えているのは本末転倒というべきだろう。特許は成立し、ライセンスなどで大学に富をもたらした場合に評価すべきである。

ただし、私は大学の特許は無駄だとは決して思っていない。知識資本主義は知的財産の勝負である。国税や企業の利益を投入した研究の知的財産は守らなくてはならない。特許は数より質が重要であり、大学がその質を評価して出願を決定できる能力を身につけることが先決である。

幻想4. 産学連携すれば、直ちに商品化が進む

産学連携すれば、大学のシーズが商品化されると考えるのは早計だ。実際の商品化までには、製造コスト、市場調査、販売チャンネルなど多数の関門が待ちかまえているためだ。企業の側も、必ずしも産学連携の担当者が研究契約は可能でも、その後の商品化を決断する権限を持っていない場合も多い。わが国企業の固有の問題として社内の情報共有が多数の企業で縦割り組織のため阻害されている。このため、熱い大学の期待もなかなかかなえられない。解決の糸口は、社内の人材をより多く産学連携に巻き込むことである。大学の教官はそのために学外に出て、企業とコミュニケーションすることも不可欠である。

幻想5. 教官の発明1つでベンチャー企業創業ができる

大学発ベンチャーの大部分が、“ボス-弟子ベンチャー”とも言うべき、家内制手工業の段階に留まってしまう。この原因は、教官が発明したたった1つの技術シードに頼ったビジネスモデルにある。測定装置のベンチャーにこの類が多いが、特殊な計測装置が売れる市場はたかが知れている。ビジネスを拡大するためには、市場が困っている問題にソリューションを与える技術のポートフォリオが不可欠だ。創薬ベンチャーでは30以上の技術やマーケティングスキルなどが投入されなくては成長不能である。

このため、不仲なライバル研究者から技術を導入する必要さえ、事業の発展のためにはあるのだ。「わしの技術こそ世界最高」といううぬぼれを捨ててこそ、大学発ベンチャーの成長はある。

幻想6. 大学発ベンチャーは、市井(しせい)のベンチャーよ り優れている

1960年代からバイオベンチャー創製が意図的に行われていた英国ケンブリッジ。そのケンブリッジですら純粋な大学発ベンチャー(大学教官が発議して創設)は10%に過ぎないといわれる。本格的にバイオベンチャーが設立されるようになったのは、英国の製薬企業、グラクソ社とウェルカム社の合併が契機となった。合併によりスピンアウトした企業の研究者が、大学に共同研究先を求め、ベンチャーを設立した。まさに理想の産学連携なのだ。

ビジネスの素人である大学教官が創業したベンチャーのビジネスモデルやマネジメント体制は甘く、不完全だ。技術やビジネスモデルは市場の変化に対応して柔軟に変える必要がある。市場を知る市井のベンチャーの方がはるかに生存力は強いと考えるべきである。

幻想7. 制度ができれば産学連携が進む

産学連携支援人材の問題を除けば、ここ10年でわが国の産学連携を支援する制度は、米国並みに整ってきた。むしろ、文部科学省の変身の早さと激しさに、末端の大学の教官や事務職員のマインドがついていっていない。

しかし、産学連携は制度が整備されればされるほど、進まないという本質的なジレンマにも陥っている。産学連携、ましてベンチャー創業には、未踏の道を進むという強い起業家精神が必要である。いわば“変わり者”が、現状を打破して行うことを許容する寛容さや柔軟さが求められているのだ。

現在進められている制度整備は「○○して宜しい」というポジティブリストによる制度整備である。大学の事務職員の宿痾(しゅくあ)ともいうべき些末(さまつ)主義、官僚主義が組み合わさると、産学連携は直ちに窒息する。

基本的に自由、禁止・制約するものだけを明示するネガティブリストによる制度整備、つまり悪しき前例がなければ原則即日認可という制度整備を進めるべきだろう。

坂の上の雲のような制度整備と運用にこそ、産学連携が息づくことを忘れてはならない。