2006年9月号
産学官エッセイ
花水木の木陰で -岡山リサーチパーク今昔
物語-
顔写真

高島 征助 Profile
(たかしま・せいすけ)

岡山大学 医学部 客員教授/
岡山県立大学 客員教授


およそ10年前に岡山県のリサーチパークが誕生した。以来、岡山大学の産学連携に従事してきた著者が、産学連携での産と学のカルチャーの違いを経験しつつ、奮闘してきた経緯を述べる。今後は特に若手研究者および技術者の産学連携へのかかわりに期待する。

「岡山リサーチパーク」。平成6年12月6日以来、ここは今日まで私の定位置である。

JR岡山駅から17km、岡山空港から7kmのロケーション。もともと、岡山県の特産品の「清水白桃」、「マスカット」の果樹園の周囲の山を削って造成された約24haの岡山県の工業技術の中枢的な機能を果たすべく造成されたゾーンである。

当時、私は平成2年10月1日に開所した「岡山大学・地域共同研究センター」の専任教官で、同研究センターは工学部の電子顕微鏡施設の1部屋での借り住まいであった。近い将来、専用の施設を学内に、それとも学外にするかについては判断の難しいところであった。その当時、先発の国立8大学のうち、学外に設置したのは熊本空港に隣接するリサーチパークに施設を置いた熊本大学だけであった。岡山県のリサーチパーク建設計画も県の将来的な産業振興策、岡山県工業技術センターと岡山大学地域共同研究センター(現、産学官融合センター)を産・学・官の共同研究の拠点にしようと当時の県知事と岡山大学・学長の間で合意されたもので、その主旨について異存はなかった。私は岡山大学に任用されるまで企業で研究開発の業務に携わっていたがその間、学位研究生として、また東京医科歯科大学などの非常勤講師を拝命していたこともあり、大学の内情もある程度理解していたつもりであったが、いざ大学の教官になってみると、産と学ではかなりカルチャーに違いがあることに気付いた。その上、行政側の対応の温度差にも驚いた。そして、産についてみるなら、地域のコンビナートであっても、そこに進出している企業はグローバルな視野に立った企業の生産拠点ではあるが、実務の方々は、その視線を常に東京本社に向けている。研究開発組織も本社機構に直結している場合が多く、基礎研究は情報量の豊富な中央研究所で行うというパターンである。一方、生産部門の問題はその地域の大学と共同研究で解決するという姿勢である。産側の至上命題は「タイム イズ マネー」であり、トラブルを効率よく解決することなのだが、生産部門での解決を地元大学に依頼する場合、それらの大学は必ずしも企業の事情を理解できないことが多いし、またそれを期待するのも無理であろう。さりとて、そういった大学の共同研究の相手を同地域の中小企業に求めるならば、今度は大学側が「おんぶにだっこ」する覚悟が必要となり、それを積極的に受け入れようという教官は限られてしまう。「産・学・官」共同研究の学側の窓口役は「地域共同研究センター」の主務であり、産・学双方に「収穫があった」という「ハッピー・エンド・ストーリーにするにはいかにすべきか」ということで私は大いに苦しんだ。

翻って岡山に目を向けると「オカヤマ・アズ・ナンバーワン」が欲しかった。そこで、岡山県には岡山大学・医学部と川崎医科大学がある。従って、「医療工業先進県としての発展が期待される」と内外からアイデアがでた。幸い、私の専門分野は「医工学」であり、しかも、企業で「人工臓器の商品化」までの実務を経験していたため、この分野に熟知していた。医療産業の問題点-少量多品種(5~8万種)の市場規模、生産ラインで要求される厳しいクリーン度、製品の患者への安全性の確保、健保収載等々-をクリアするには、一般の工業製品の開発とは全く異なり、コストも時間もかかる。そして、もしもその製品で医療事故が発生すれば、企業の屋台骨を揺るがしかねないリスクもある。さらに「医療」と「医療産業」は全く別物であることなどについて繰り返し実例を挙げて説明したが、なかなか関係者の理解が得られず、残念ながら「産・学・官」の共同研究から工業化に発展したプロジェクトは生まれていない。

岡山県のリサーチパークを運営する総元締めは第3セクター「テクノサポート岡山」である。その組織は、当初「岡山県新技術振興財団」という名称であったが、今は「岡山県産業振興財団」と名称も変更された。そして県下の従来の産業もバック・アップしようという基本姿勢の変化もあった。

では、話を10年前に戻して、初期のリサーチパークの話に移してみる。当時、この財団への企業からの出向者はやる気満々であったが、その手法は「独断専行型」であったように思う。私も、もともと「行け行け進め型」である。開所当時は出入りの弁当屋もなく、スーパーマーケットも約3km山を下った団地にあるだけだった。毎日、昼食時には、このゾーンに勤務しているほとんどの人たちが、建屋の中の食堂「花水木」に集まるので格好の情報交換の場となった。かつ、先輩諸兄とも相談して、「即断即決」をした。そのやり方を東北大学・経済学部の大滝教授に専門誌で「岡山方式」とお褒めいただいた。さて、そのときの企画の1つである、「岡山リサーチパーク合同研究発表会」は、その後大発展して来年の1月下旬に11回目を迎える。「テクノサポート岡山」の玄関ロビーからコンコースでの「医療福祉機器・医工学」、「食品・バイオ産業」、「情報・精密加工」、「化学産業など」の4分野で、約60~70件のポスター・セッションを開催するまでに発展した。まさに人・ひと・ヒトで溢れかえる。これが岡山県の産業のポテンシャル・エネルギーといえよう。ただし、大変残念なのは、これまで、この会に学・官側の上層部の顔をほとんど見掛けていないことである。ぜひ本県の技術レベルを自分自身の目で確かめてほしいと各方面に現在も言い続けている。何と言ってもこの研究発表会のメインイベントは特別講演である。そのうち6回は私が企画し、講演者の選定、講演依頼の交渉まで行った。例えば、電子線ホログラフィーの第一人者の(株)日立製作所基礎研究所の外村彰博士、(株)三井物産戦略研究所長の寺島実郎氏、国立天文台ハワイ観測所長の唐牛宏教授、さらにわが国の商業デザインの草分けの栄久庵憲司氏など多士済々であった。それぞれ大変興味深く示唆に富むお話を伺うことができた。この企画によって地域の企業側に当リサーチパークの存在意義が徐々にではあるが認知されたことは、企画した者としてひそかな喜びである。そして毎年この発表会の実質的な運営では文字通り黒子役を果たしていただいている「財団」のスタッフの方々に改めて感謝の意を表したい。ただし、ここでただ1つ特筆したいのは、「発表会」終了後の「交流会」への若手の産・学側の参加者が少ないことである。口頭発表、ポスター・セッションの場で言い足りなかったこと、質問できなかったことを双方「アルコール」で少し羞恥(しゅうち)心も低下しているこの場で忌憚(きたん)ない意見交換をしてほしい。この会場となっている食堂の名称は「花水木」。花水木は4枚の花ビラの可憐な花である。この4枚の花ビラのうちの3枚は「産」、「学」、「官」。残る1枚を3者の研究・企業化の成果と私自身でとらえている。研究・開発には「夢」が最大の養分である。異分野の研究者・技術者の交流の場にこそ、その養分が溢れている。ここには「若さ」というエネルギーをもつ、つまり若手の研究者・技術者の諸君に登場して頂きたいゆえんである。「岡山地域、さらにわが国の産業技術の発展のために諸君の若い力を貸してほしい」と要望する。