2007年11月号
産学官エッセイ
味の素株式会社の歴史に学ぶ産学連携
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森永 康 Profile
(もりなが・やすし)

日本大学 生物資源科学部 教授



1908年に東京帝国大学理科大学の池田菊苗博士が、昆布のうま味成分がグルタミン酸であることを発見。この研究成果をもとに、二代鈴木三郎助がうま味調味料を事業化した。この産学連携が味の素株式会社の創業の発端である。同社の歴史を追い、産学連携を考える。

今年(2007年)3月末まで長年勤務してきた企業(味の素株式会社:以下、味の素)を離れ、大学に奉職して半年が過ぎた。これまでの産の立場から一転して、学の立場から産学連携を考えることが必要となり、現在トレーニング中である。味の素では縁あって、研究所の50年史を編さんするという貴重な経験をさせていただき、その過程で、企業の発展への産学連携のかかわりについて数多くの事例を学ぶことができた。その中からいくつかをご紹介したい。

「夢」の実現のための産学連携

味の素の創業の発端が産学連携であったということはご存知の読者もおられるかもしれない。1908年東京帝国大学理科大学の池田菊苗博士が昆布のうま味成分がグルタミン酸であることを発見した。この研究の背景には、安価な調味料を開発して、当時の日本国民の食生活を豊かにし、栄養状態を改善したいという志高い「夢」があった。池田博士は自らの思いを実現するために、うま味調味料の事業化を考えた。そこで出会ったのが青年実業家の二代鈴木三郎助であった。三郎助は海藻を原料とする医薬品製造事業を営んでいたが、新たな事業展開のシーズを探していた。池田博士と三郎助、この両者が出会い、「夢」を共有することで、世界に類例のないうま味調味料事業が誕生。その後アミノ酸事業へと発展し、わが国のバイオ産業の一翼を担うアミノ酸発酵のイノベーションへとつながった。

ここで学ぶべきは、「夢」こそが科学技術の進歩と新事業創生の原動力であり、「夢」があればこそ、創業時の不確定な状況や困難を乗り越えることができるということである。

「大学のコーディネーション」が産んだイノベーション

1956年から興ったアミノ酸発酵のイノベーションにおいても、産学連携が大きな役割を果たした。それまでグルタミン酸をはじめとするアミノ酸は、小麦や大豆を原料にして、そこからタンパク質を抽出して強酸で加水分解するという方法 (抽出法)でつくられていたが、原料価格の変動や多量の副産物生成などの問題を抱えており、需要拡大への対応には、新製法開発が不可欠であった。新製法としては発酵法や合成法が模索されていた。そうした中で、糖から直接グルタミン酸を発酵生産するという画期的な方法を発明したのが協和発酵工業株式会社の研究陣であった。この発明が発端となって、グルタミン酸だけでなく各種のアミノ酸や核酸を発酵でつくろうとする機運が一気に高まった。そして、大学がイニシアチブをとることによって、競合企業も一緒になって、アミノ酸・核酸発酵の科学的基盤づくりのための技術情報を交換し、切磋琢磨(せっさたくま)するという、画期的な産学連携がなされた。「アミノ酸・核酸集談会」と呼ばれる産学の集まりが連携の中心にあった。当時の大学では、大御所の先生が絶対的な権威をもっており、その薫陶を受けた弟子たちが有力企業において研究開発の中核を担っていた。こうした研究者、技術者が競い合いながらも、大学を核に一企業の枠を超えて連携し、日本発のグローバルなイノベーションであるアミノ酸発酵を完成させたということは、いかにも日本的な取り組みであって感慨深い。

新産業創生ともなると、当然複数の企業が参画した取り組みが必要となるが、この事例から、企業の利害を超えて、新しい産業づくりを目指すときに、コーディネータとして大学が果たす役割がいかに大きいかを学ぶことができる。

困難を乗り越えるパートナーシップ

こうしてアミノ酸発酵は、日本のお家芸として技術優位性を築いた。しかし、1980年代になり、主要な特許の期限が切れはじめると、圧倒的に安価な原料と強大な資本力を武器に、海外の大企業がアミノ酸事業に参入してきた。これに対抗するには、アミノ酸発酵における新たな技術革新が必要となった。ここで味の素がとった戦略は、自前主義を捨てて、再び産学連携を推進すること、しかも世界で最強の連携を組むことであった。当時ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の首都モスクワにあった国立研究所Genetikaは、微生物育種にニューバイオテクノロジーを応用して、目覚ましい成果を挙げていた。時は冷戦時代で連携は容易でなかったが、90年代に入ってソ連が崩壊し、ロシアへと体制が大きく変化するという困難な状況の中、味の素とGenetikaの連携が本格的に始まった。最初は味の素からGenetikaへ研究委託の形だったが、その後、合弁会社AGRI(Ajinomoto-Genetika Research Institute)を設立。AGRIは、現在では味の素の完全子会社となり、重要な研究開発拠点となっている。

この例からも、産学連携が成功するために必要なものが見えてくる。学は世界のトップ水準の研究レベルを保持し続けること。一方、産は学に対して明確な目標を提示し、明確な契約を交わし、それを確実に履行すること。そして何よりも重要なのは、困難を乗り越えることができるパートナーシップ。

以上、味の素が経験してきた産学連携についてご紹介した。産学連携の重要性が叫ばれる昨今ではあるが、連携が目的化しているきらいも無きにしもあらずのように思われる。産学連携はあくまでも、産や学が単独では実現し得ない大きな「夢」を実現するための手段であって、産学が共有できる「夢」を持つことこそが肝要なことは言うまでもない。