2008年3月号
特集  - 医療・福祉の地域産学官ネットワーク
地域医療向上を目指す島根大学医学部の遠隔診療の試み
産学官連携で低価格の双方向通信システムを
開発
島根大学医学部附属病院は県内の医療機関との間で皮膚科などの遠隔診療を行っている。使っているのは、産学官連携で開発した低価格の双方向遠隔通信システム。同県は高齢化率が全国1で、過疎化が進む地域を抱える自治体も多い。地域医療の水準を維持しようという試みだ。

2004年4月に始まった新しい医師研修制度の下、多くの研修医が大都市の病院を選択、卒業したての医師にあまり残ってもらえない大学病院が、各地に派遣していた医師を引き揚げる—こうした医師不足は、勤務医の過酷な労働実態が引き起こす診療科による医師の偏在と合わせ社会問題となっている。人口73万人余り、高齢化率全国1の島根県において、事態はとりわけ深刻である。

同県は細長い形状をしているが、鳥取県寄りの県都・松江市とその隣の出雲市の2市に県人口のおよそ半分が集中。島根大学医学部附属病院のある出雲市には、680床余りの県立中央病院もある。過疎化が進む地域を抱える自治体にとって、地域医療の崩壊をどう防ぎ、サービス水準をいかに維持していくかは大きな課題だ。

大学病院と地域の病院を結ぶ

こうしたなかで、文部科学省の「地域医療等社会的ニーズに対応した質の高い医療人養成推進プログラム」(以下、医療人GP)の補助を受け、同大医学部と附属病院が皮膚科の遠隔診療を実験的に行っている。同大学が「産」「官」との連携で開発した双方向遠隔通信システムで附属病院と益田赤十字病院(益田市)など地域医療機関を結び、附属病院の皮膚科専門医が相手の医師、患者と映像や音声でやり取りする。専門の立場から相手の医師にアドバイスする。

このシステムの名称は「ミュー太*1」。まず、機器を説明しよう。附属病院側をA、相手の医療機関側をBとする。双方の端末ともディスプレーの上にカメラを据え付けてある。Aのカメラの向きは固定、その前に座った専門医の顔が、常にBのディスプレーに映っている。Aの専門医は遠隔操作でBのカメラの向きを上下左右に変えたり、拡大もできる。その時、Bのカメラとともにディスプレーも同じ方向を向くのがこのシステムの最大の特徴だ。Bの医師と話をするときは、そちらにBのディスプレー・カメラを向けると、お互いに面と向かって話をしているような感じになる。患者とやり取りする場合も同様である。

写真1

写真1 「ミュー太」を使った皮膚科の遠隔診療

事前に患者さんにお断りしたうえで、大学病院で遠隔診療の現場を見学した(写真1)。悪性リンパ腫の男性の患者だ。「どうですか」。何回も診ているので大学病院の医師の会話もなめらかだ。はじめに患者が見せたのは大腿部。左右上下のボタンを操作し、腕、体幹部などを順番に診ていく。「先生、肩がちょっと…」と患者がいい、後ろ向きになる。今度はレンズを上に向かせて肩を大きく映す。最後に、双方の医師は目の前のディスプレーに映る相手の顔を見ながら話をする。

ADSLの回線があれば動かせる

この機器のもう1つの特徴は、低価格の普及型であることだろう。価格は1セット約400万円*2。製品の機能を発揮するには、上り下りとも1メガbps以上のデータ伝送速度を確保できる環境があれば十分。具体的にはADSLの回線があれば動かせる。光ファイバー網のない僻地(へきち)の診療所などからでも、比較的精度の高い映像を送ってもらえるわけである。

院内学級向けに開発
写真2

写真2 花田 英輔氏

この双方向通信機器を開発するきっかけは、附属病院医療情報部の花田英輔副部長(准教授)(写真2)が、長期入院中の小児患者に学校の授業や行事に参加してもらおうと考え、大学の地域医学共同研究センター(現・産学連携センター)の堀江修二産学官連携コーディネーター(当時)に相談したこと。2003年6月のことである。パートナー企業を探した結果、電気工事業の山陰電工株式会社(島根県出雲市)が応じ、出雲市の助成を受けて、開発に着手。3カ月後には試作機が完成した*3。改良を重ね、現在5代目だ*4

翌04年に入り、附属病院の前にある出雲市立塩冶小学校と通信実験を行ったが、院内学級向けには実用に至っていない。「この病院に入院している児童の多くは遠くから来ているが、そうした学校は通信環境が悪く『ミュー太』を動かせないことがほとんど」(花田氏)といった事情がある。

皮膚科に適したシステム
写真3

写真3 森田 栄伸氏

こうしたなかで、このシステムを医療に活かしたいと考えたのが医学部の森田栄伸教授(写真3)である。皮膚科の医師だ。皮膚の状態は電話で話しても相手に伝わりにくい。見るのに限る。「この通信システムを使うと、患部を3倍ほどに拡大して見られるし、映る色も実際とそうズレはない。皮膚科に適している。県内には皮膚科専門医がいない地域も多い」(森田教授)

益田赤十字病院には大学の皮膚科の医師が週に1度行っているが、これとは別に、2005年9月から同病院との間で毎週月曜日に遠隔診療を行っている。患者は1回当たり数人。昨年7月からは隠岐諸島の1つ、西ノ島にある国民健康保険浦郷診療所(隠岐郡西ノ島町)との間でも実施している。これらの地域から列車や船を乗り継いで附属病院で診察してもらい、自宅に戻るのは1日がかり、隠岐諸島からだと宿泊が必要になるだろう。それを考えると、こうした試みが地域医療機関の機能強化に結び付いており、意義は小さくない、と森田教授。

遠隔診療というと、ハイテクを駆使した高額な機器を想像しがちだ。「大手電気機器メーカーの人に、われわれのシステムは片方向1メガbps以上のデータ伝送速度があれば動かせるといったら、『目からうろこが落ちた』と驚かれた」(共同開発した山陰電工の池淵建司ミュー太事業部事業次長)こともある。

地域医療人育成に遠隔教育

島根大学医学部附属病院ではこのシステムを毎週、研修医向けのカンファレンスにも活用している。地域の医療機関に派遣している研修医が大学のカンファレンスを見、時に参加することもできる。対象の医療機関は大田市立病院と公立邑智病院である。カンファレンスへの参加により、研修医は即戦力として地域で働きながら、大学病院の先端医療や最新の知識を学ぶこともできる。

整形外科ではこのシステムを利用して、大田市立病院との間で専門性の高い合同臨床カンファレンスを行っている。

これらカンファレンス利用も文部科学省の医療人GPの一環として行われている。

大学の役割はますます拡大
写真4

写真4 中村 守彦氏

共同研究センターの医学部門に専任教授を置いている国立大学法人は島根大学だけだという。同大学産学連携センター地域医学共同研究部門の中村守彦教授(写真4)だ。「産学連携の成果として双方向通信機器『ミュー太』が生まれ、それが具体的に地域医療にかかわるようになった。さらに、そうしたことが地元のメディアで伝えられた。その意義は極めて大きい。地域医療に果たす大学の役割はますます広がるだろう」と語る。

いま、関心を呼んでいるのが高校との連携だ。きっかけは、文部科学省の事業「スーパーサイエンスハイスクール」指定校の益田高校から、フィールドワークの1つとして島根大学で講義を受けたいという申し入れがあったこと。「大学の研究成果を学外の人にわかりやすく伝える好例。高校の先生方は、先端の研究は県外にしかないと誤解していたようだ」(中村教授)という。

その後、同県内の高校の理数科担当者(理数科のある全6校)から同様のオファーがあり、これまでに3校の生徒—それぞれ全員—が大学に来て話を聞き、産学連携で開発した幾つかの先端機器の活用を体験した。進路を変更して医学部を目指したいという生徒も現れるなど、予想以上の大きな反応があり、大学関係者にとっても刺激になったようだ。

さて、遠隔診療などの将来は? 「この遠隔診療システムは文部科学省の医療人GPの一環として導入されたが、このプログラムは平成19年度で終了となる。平成20年度から光回線の維持費年間約350万円の捻出が問題です…」と森田教授は悩む。「国の事業に採択されて補助金を受けていると県の光回線を使わせてもらえないなど行政の縦割りの壁もある」という。自治体の「支援」というより、積極的な関与が求められる。

(本誌編集長:登坂 和洋)

*1
2008年2月26日、財団法人中小企業異業種交流財団の平成19年度異業種交流成果表彰で「優秀製品賞」を受賞した。

*2
将来300万円程度で販売できるよう、関係者によるコストダウンの努力が続けられている。

*3
ディスプレー、カメラ、マイク、スピーカーは既製品を使い、遠隔コントロール信号などを自前で開発した。ディスプレーが回る機能について特許出願している。

*4
その後、異業種の有限会社小村産業(島根県出雲市)、株式会社ワコムアイティ(島根県松江市)が加わり、経済産業省の「異分野連携新事業分野開拓(通称「新連携」)制度」に基づく連携体としての認定および補助金を受けて、教育、医療、福祉、ビジネスなど多様な用途をにらんで開発を進めている。