2008年8月号
特集  - 食料供給と技術
21世紀における世界の食料生産
顔写真

川島 博之 Profile
(かわしま・ひろゆき)

東京大学大学院
農学生命科学研究科 准教授


世界的な食料価格の高騰がメディアをにぎわせ、先行きについては供給不安、高値の見通しが覆っているように見える。しかし、東京大学大学院の川島博之氏は膨大なデータ解析、アジアなどでの現地取材を通じて「21世紀は20世紀に引き続き、実質賃金に対し食料価格が低下し続ける時代になると考えている」という。

はじめに

昨年からの世界的な食料価格の高騰に伴い、わが国でも世界の食料生産に関心が集まっている。洞爺湖サミットにおいて「食料」は「環境」とともに重要な議題の1 つとなった。そのためか、新聞や雑誌などにおいて世界の食料に関連した特集が多く組まれたが、それらを見ると、昨年来起こった食料高騰をベースに長期的な見通しが語られているように思える。しかし、世界の食料生産は極めて大きな事象であり、一時期の一部の事象から世界を見ると、全体の趨勢(すうせい)を見誤りやすい。ここでは、世界の食料生産をめぐる大きな流れを紹介したいと思う。

日本人と世界食料危機

日本では世界の食料生産について、悲観的な見方が流布しやすい。「21世紀は人口爆発の時代であり、世界の食料生産が人口増加に追いつくかが心配」、「中国やインドなど途上国での食料需要が増加するため、これからは食料の輸入が難しくなる」などとする見解が世の中に氾濫(はんらん)している。昨今の食料価格高騰もこの延長上として理解されているように思える。だが、このような見方が流布しているのは、先進国の中では日本だけである。

それでは、なぜ、先進国の中でわが国だけにこのような見方が流布するのであろうか。直接の原因は、わが国の食料自給率が先進国の中では極端に低いことに求められよう。日本人には、何かの際に食料を買い付けることができなくなるのではとの思いがある。しかし、それだけで食料危機がこれほどの話題になるとは思えない。食料自給率が低い国は日本以外にもたくさんあるが、それらの国では日本ほどの話題にはなっていないからである。危機感が強い原因は自給率が低いこと以外にもあるはずだ。

わが国において食料供給に関する危機感が強い理由の1つとして、終戦前後に国を挙げて飢えたことが関係していると考えている。ただ、あれから60 年ほどの歳月が経過したため、成年として食料危機を体験した人々は少なくなったが、食料危機を幼児体験や少年期の体験として記憶する方々は、いまだその多くが健在である。その年代の方々にとって、食料危機は実際に体験したものであり、生涯消すことができないトラウマになっているのではないだろうか。このことが、日本で食料に関する危機感が広がりやすい原因になっていると考える。

世界の食料生産量を決めるもの

世界の食料生産量は3 つの要因によって決定される。第1 には気候などの自然条件である。当然ながら、温暖で肥沃(ひよく)な大地が広がる国では多くの食料を生産できる。反対に寒冷な土地や乾燥地での農業は難しい。作柄も気候に左右されやすい。だが、食料生産量は自然条件だけでは決まらない。第2 の要因は技術である。このことは、戦後、熱帯を原産地とする米が北海道で生産できるようになったことからも理解されよう。20 世紀は農業技術が飛躍的に進歩した時代であった。

一方、自然条件と技術だけでも生産量は決まらない。第3 の要因は経済である。農作物は人間が関与して初めて生産されるものである。必要とされるとき、つまり農作物の価格が高いとき、農民は一生懸命に生産する。その結果、生産量も増える。反対に値段が下がった場合、農民の生産意欲は減退し生産量は低下する。農業技術がその昔に比べて飛躍的に進歩した現在、経済的要因は世界の食料生産量を大きく左右している。

20 世紀に大きく伸びた食料生産量
 穀物生産量と人口の増加

図1 穀物生産量と人口の増加

21 世紀を考えるために、20 世紀における世界の食料生産を振り返ってみよう。20 世紀は人口爆発の時代であった。1900 年に16 億人であった世界人口は2000 年に60 億人にまで増えた。図1 は、1961 年を1 としたときの人口と穀物生産量の伸びを示すが、穀物生産量の伸びが人口の増加を上回っていることがわかる。環境問題を語るとき人口急増のみが強調されるが、20 世紀はそれを支える食料も急増した時代でもあったのだ。

フランスにおける小麦単収の変遷

図2 フランスにおける小麦単収の変遷

食料を増産するためには、栽培面積を増やすか、単位面積当たりの収穫量(単収)を増やす必要がある。振り返ると、20 世紀は栽培面積が増加せず単収が増加した時代だった。一例としてフランスの小麦単収を見てみよう(図2)。フランスの単収についての記録は、ナポレオンが活躍していた時代にまでたどることができるが、図2 より19 世紀から20 世紀の前半において、フランスでは穀物単収がほとんど増えていないことがわかろう。19 世紀前半に1[t/ha] 程度であった単収は、100 年が経過した20 世紀中ごろにおいても1.5[t/ha] 程度に留まっている。それが、1950 年ごろから大きく増加し始め、21 世紀初頭には8[t/ha] にもなった。19 世紀中ごろからの100 年で約1.5 倍にしか増えなかった単収は、1950 年からの50 年間で約6 倍に増えている。フランスの人口は1950 年から2000 年までの間に1.4 倍にしか増えていないから、この時期、フランスでは1人当たりの小麦生産量が急増したことになる。フランス以外の先進国の穀物単収もほぼ同様の変化を遂げている。

窒素肥料と農業生産

それでは、何がフランスにおける20 世紀後半の単収の急増を可能にさせたのであろうか。答えは窒素肥料(化学肥料)である。ここで、窒素肥料とは工業的に空気中の窒素を固定することにより製造したものを指す。食料の増産には品種改良が重要と思われがちであるが、多収量品種を作っても窒素肥料がなければ高い単収は得られない。品種改良と窒素肥料は、食料増産の両輪になっている。

化学肥料がない時代、窒素を含むものとして堆肥(たいひ)や厩肥(きゅうひ)が用いられ、わが国では人ぷんも用いられた。しかしながら、このような肥料により投入できる窒素の量はわずかなものであった。西欧では主に南米で産出される硝石(しょうせき)が窒素肥料として大量に使用された時期もあったが、その資源量には限りがあり、枯渇による世界食料危機が危惧(きぐ)された時代もあった。このような状況を救ったのが、工業的な空中窒素固定法であった。

第二次世界大戦が終わったころから、先進国を中心に窒素肥料が広く使
用されるようになった。第二次世界大戦後、わが国を襲った食料危機を
救ったのも窒素肥料であった。国が傾斜生産方式と称して窒素肥料製造を
集中的に支援したことが功を奏したのだ。

単収は21世紀にも増え続けるか

食料の生産量を増加させる方法として農地面積の増加があるが、農地面積の拡張は一般に森林面積の減少を伴うから、環境への配慮が求められる現在、農地面積を大きく増やすことは難しい。21 世紀の食料生産を考える場合、農地面積が現在より増えることはないと考えるべきであろう。

2005 年の世界人口は64.5 億人であるが、国連の中位推計によると2050 年には90.5 億人になる。一方、2005 年の穀物栽培面積は6.9 億ha、生産量は22.4 億トンであり、世界平均単収は3.3[t/ha] であった。この3.3[t/ha] は、図2 に示した現在のフランスの小麦単収の4 割程度に留まる。これは開発途上国の単収がいまだ低い水準にあるためである。例えば2005 年におけるエチオピアの単収は1.2[t/ha] に過ぎない。

 窒素投入量と穀物単収

図3 窒素投入量と穀物単収

それでは、今後、途上国の単収は増加するのであろうか。このことは21 世紀の食料生産を考える上でのキーポイントとなる。ここでは、窒素肥料との関係から考えてみよう。図3 に単位面積当たりの窒素投入量と穀物単収の関係を示すが、これは世界を20 の地域に分けて、地域ごとに窒素投入量と穀物単収の関係を示したものである。窒素投入量と単収との間には良い相関があることがわかろう。図中には日本についての相関も示すが、同じ量の窒素肥料を投入した場合、日本の単収は世界の平均より高い。これは、日本では小麦に比べて単収の高い水稲が栽培されていることが理由の1つであるが、日本の農業技術の水準が高いためでもある。

いずれにしろ、窒素肥料を多く投入すれば、それだけ収穫量が増加する。開発途上国の単収が低い理由は、窒素肥料の投入量が少ないためである。フランスの農地面積当たりの窒素肥料投入量が172[kg/ha] であるのに対し、サハラ以南アフリカの平均投入量は8.4[kg/ha] に過ぎない。今後、途上国の単収が増加するかどうかは、窒素肥料の普及にかかっている。

2050 年の世界の食料生産

サハラ以南アフリカにある国々には、なぜ窒素肥料が普及しないのであろうか。このことは、世界の食料問題を考える上で重要な問題である。結論から言えば、この理由は政治的、経済的な理由が大きいと考えている。サハラ以南アフリカには窒素肥料が農民に行き渡るシステムがうまく構築されていないのである。このため、ただ窒素肥料を援助するだけでは、アフリカから貧困問題を一掃できることはないと思う。一時的に食料が増産されても、現在のサハラ以南アフリカにはそれに見合うだけの需要が国内にない。このため、一時的な食料の増産は食料価格の下落につながり、かえって農民の貧しさを助長しかねない。

開発途上国が食料生産における停滞状態から脱するには、都市部における経済成長が重要と考える。つい先ごろまで、インドは貧困と飢餓が蔓延(まんえん)する国であった。しかし、そのインドは、IT 産業などの隆盛によりBRICs の一角として世界の注目を集めるまでになった。このような状況になると、都市部における労働力需要が増加し、農村からの出稼ぎが増える。当然、食料需要が増加するため、食料価格が上昇し、また生産量も増加する。都市部での徴税額が増えれば、農村に援助を行い、肥料が普及するシステムを構築することも可能になる。インドでは都市部の経済発展が、少しずつではあるが農村に波及している。事実、インドでの窒素肥料使用量は増加しており、それに伴い穀物単収も増加している。現在、窒素肥料投入量は71[kg/ha]、穀物単収は2.4[t/ha] になり、近年は米を輸出するまでになっている。

現代社会にとって、食料問題と経済との間には密接な関係がある。インドの例が示すように、経済が順調に発展すれば食料問題も自然に解決されていく。世界には食料生産余力が多く残されているから、経済が発展すれば、多くの地域で食料問題は解決に向かうはずである。経済が発展しても、多くの国は食料を海外に大きく依存するようにはならない。わが国は経済発展に伴い海外への食料依存を強めたが、同様の現象が生じたのは、日本と同様に農地面積の割に人口が多い韓国など少数の国だけである。

中国、インドの1人当たりの農地は日本や韓国の3 倍から5 倍もある。このような国では経済が発展しても食料の多くを海外に依存するようにはならない。このことは西欧における食料生産からも類推できる。西欧の1人当たりの農地面積は中国やインドとほぼ同水準である。その西欧は経済発展とともに窒素肥料の使用量が増加したことにより、生産量が大きく増加し、穀物を大量に輸出する地域になった。今後、同様の現象が中国やインドで生じてもおかしくはない。

紙幅の関係上詳しい説明をすることができないが、長期的な視野で見るとき、21 世紀は20 世紀に引き続き、実質賃金に対し食料価格が低下し続ける時代になると考えている。詳しくは拙著「世界の食料生産とバイオマスエネルギー - 2050 年の展望」をお読み頂ければ幸いである。


●引用文献
川島博之.世界の食料生産とバイオマスエネルギー - 2050 年の展望.東京大学出版会.2008.