2008年8月号
特集  - 食料供給と技術
クロマグロの「完全養殖」と産業化
顔写真

熊井 英水 Profile
(くまい・ひでみ)

近畿大学 理事・教授




熊井英水教授(理事)が率いる近畿大学水産研究所(和歌山県白浜町)は2002 年、世界で初めてクロマグロの完全養殖に成功した。完全養殖とは「ふ化→成長・産卵→ふ化」という世代交代サイクルを養殖施設内で完結させることで、同研究所が人工ふ化させたクロマグロの成魚が産卵した。

それ以前から養殖は行われていたが、天然の稚魚(種苗)を獲り、それをいけすのなかで育てる方法をとっていた。しかし、天然の種苗は供給が不安定なうえ、天然のクロマグロ資源保護のうえでは好ましいものではなかった。同研究所が成功するまでは、完全養殖技術の確立は不可能といわれていた。

同大学発ベンチャー企業の株式会社アーマリン近大(同町、大原司代表取締役社長)は2003 年2 月設立。同大学水産研究所が研究、養殖した安全でおいしい魚を消費者に届けることが設立の目的だ。同社は2004 年に「完全養殖近大マグロ」として販売を開始。このほかハマチ、シマアジ、ヒラメ、トラフグなどを扱い、最近では幻の高級魚といわれるクエを使った「本クエ鍋セット」がヒットした。同社の2007年度の売上は33億円余りである。

クロマグロ完全養殖が普及することは天然クロマグロ資源の保護に直結する。天然の稚魚に依存する従来型養殖から脱却し、天然資源を減らさないでクロマグロを供給できる。

クロマグロの低水銀化という成果もある。大学と大学発ベンチャーが連携し、「水銀を少なく」という市場ニーズを研究現場へフィードバックし、飼料をコントロールすることで成魚の水銀含有量を天然物より少なくすることができた。

同研究所は、2007 年12 月、人工ふ化第3 世代(2002 年に人工ふ化させたクロマグロの次々代)の稚魚1,500 尾を養殖用種苗として養殖業者に販売した。完全養殖クロマグロの稚魚をこうした形で出荷するのは世界で初めてである。

同研究所・アーマリン近大はこれまで、完全養殖クロマグロの成魚を販売してきたが、その稚魚を外部の養殖基地へ出荷する道が開けたことで、大量に育て、食卓に供給できる可能性が広がった。

上述のようなクロマグロ完全養殖研究の成果と市場開拓などの産業化の功績に対し、第7 回産学官連携推進会議(内閣府等主催、6 月14、15 の両日京都市で開催)で行われた産学官連携功労者表彰で「科学技術政策担当大臣賞」が授与された。受賞したのは熊井教授と、アーマリン近大の大原社長である。

(本誌編集長 登坂和洋)


はじめに

近年、日本人にとって伝統的かつ固有の生食文化であるマグロについて、資源枯渇や世界的需要の増加によってその利用への対応策が問題視されている。そのためマグロ資源をめぐり国際資源管理機構の動きが活発化して漁業管理方式における漁獲規制などの処置がなされる一方、資源をつくり育てる諸技術を開発・確立することが喫緊の課題とされている。

わが国におけるクロマグロの増養殖に関する研究は、1970 年に水産庁遠洋水産研究所が主導した「マグロ類養殖技術開発企業化試験」を嚆矢(こうし)としている。筆者らの近畿大学水産研究所もその一員として招聘(しょうへい)され参画したが、そのプロジェクト終了後も希少かつ貴重なクロマグロの「完全養殖」を目的として独自に研究を進めてきた。

クロマグロ幼魚(ヨコワ)の活け込み

本種は極めてデリケートな魚で皮膚が弱く、手でつかむと指のあとから擦れて細菌感染し死に至るといわれ、また光や音にも敏感でパニックを起こす。その上、酸素要求量が極めて大きく新鮮な海水を必要とするため、常に泳ぎ続け静止することができないなど、本種を飼い付けて長期間、飼育するのは、極めて困難といわれてきた。そんな中で、昭和45 年から紀伊半島沿岸に来遊するヨコワを曳縄釣りによって漁獲することとした。かぎにかかったヨコワを手を触れずに直接ポリバケツの海水中に落下させ、鎮静化させる方法をとった。釣獲したヨコワの大きさは体重100 ~ 500g、全長20 ~ 30cm が多く、漁期は7 月下旬から9 月上旬である。

親魚の養成と成長

釣獲したヨコワはまず餌付用いけすに収容し飼育するが、年末には大型いけすに移し、本養殖に入る(写真1)。本種の成長に必要な水温は13 ~30℃で、20℃以上が適している。また酸素要求量が極めて大きく降雨などで淡水や濁水が流入する内湾は不適である。養成用餌料は人工配合飼料が開発中のため、生鮮または冷凍のイカナゴ、イワシ類、サバ類などを与えた。大島実験場における本種の成長を推定すると1 年後に体重5 ~ 10kg、2 年後に平均25kg、最大40kg、3 年後平均40kg、最大60kg、4 年後平均60kg、最大80kg、5 年後平均80kg、最大120kg に達する。

串本大島、本養殖漁場(連結フロート方式)

写真1 串本大島、本養殖漁場(連結フロート方式)

成熟と産卵 
 クロマグロ卵とクロマグロのふ化仔魚

写真2 クロマグロ卵とクロマグロのふ化仔魚

養成したヨコワは1979 年に5 才となり、6 月には推定体重50 ~100kg、全長140 ~ 200cm に成長した。この年に追尾行動が観察され、6月20 日にいけす内で世界初の産卵が行われた。ところがその後1980 年、1982 年と少量の産卵があったのみで、1983 年以降11 年間産卵が途絶えしまった。1994 年に12 年ぶりに産卵が再開され、7 月3 日から8 月18日までの間に計8,400 万粒の受精卵を得た。続いて1995 および1996 年にも同年級群が産卵した。受精卵は平均卵径0.989 ± 0.017mm で1 個の油球を持つ無色透明の分離浮生卵である(写真2)。

人工ふ化・仔稚魚飼育

24℃の水温条件下で産卵から32 時間後に最初のふ化が始まる。ふ化直後の仔魚の全長は2.87 ± 0.13mm(写真2)で60 時間後には卵黄がほとんど吸収され、摂餌を開始する。餌料系列はふ化後3 日目よりシオミズツボワムシ、11 日目よりアルテミア、15 日目ごろからイシダイなどのふ化仔魚を給与した。また20 日目ごろからイカナゴおよびカタクチイワシのシラスの細断肉を与えた。仔稚魚はふ化後20 日で全長18.44 ±1.16mm、34 ~ 39 日で36.5 ~ 70mm に成長し、切断魚肉を十分摂餌することを認めた上で海上いけすに移す「沖出し」を行った。なお仔稚魚の飼育期間中に2 度の危険期が存在し、1 回目はふ化後1 週間の間に起こる「浮上斃死」であり、2回目はふ化後20 日ごろの仔魚から稚魚期への移行期に起こる本種特有の激しい「共喰い」現象である。これらの対策として前者では飼育水面にフィードオイルで油膜を形成すること、後者は「共喰い」を他魚種のふ化仔魚におきかえること、魚体の大小を選別することなどでそれぞれ防止した。

1994 年に人工ふ化・飼育した稚魚1,872 尾を初めて「沖出し」することに成功した。しかしこの稚魚は初日から斃死がおびただしく、生存率は5日後には17.3%と激減し、1 カ月後にはわずか43 尾の生存にとどまった。最終的にはふ化後246 日で最後の1 尾(体重1,327g、全長42.8cm)が斃死した。この異常な斃死の原因はいけす網への「衝突死」であり、この現象は、旋回や停止などの遊泳制御能力が推進力の発達に追従できない発育段階が存在すること、またもう1つの衝突死の原因は夜間や薄明時に頻発することをつきとめ、その結果、前者では沖出し後の養成施設の面積を拡大すること、後者では夜間照明することで生存率を大幅に改善できた。

完全養殖の達成と産業化
完全養殖の図

図1 完全養殖の図

世界で初めて人工生産された1995 年および1996 年級群を大切に育成した結果、成熟年齢の5 才になっても両者共産卵の兆候がなく、2002 年には前者が6 尾(体重110 ~ 150kg)、後者は14 尾(体重70 ~ 120kg)となり産卵親魚としては余りにも少数であった。そのため性比に問題があるのではとの考えから両者を合併したところ、同年6 月23 日に最初の産卵がみられ、実に32 年の歳月を要したが、大型魚類で世界初の完全養殖が達成された(図1)。この受精卵を人工ふ化・飼育を続けたところ2004 年9 月には903 尾が平均体重21kg、全長100cmに成長し「完全養殖クロマグロ」として初出荷した。この年級群は2007 年には親魚となり6 月28 日初産卵を確認した。これによりクロマグロの人工ふ化第3 世代が誕生したことになる。その受精卵を人工ふ化・飼育したところ19,437 尾を沖出しできた。同年11月には6,741 尾が平均800g に成長し、そのうち1,500 尾を養殖用人工種苗として初出荷した。

本研究がさらに進展しクロマグロの種苗量産技術が確立されれば天然資源に頼らず安定的に健全な種苗を確保でき、養殖事業を計画的に推進することが可能となる。

さらに食の安全・安心が強く叫ばれている中で魚類養殖では人工ふ化から養殖過程におけるトレーサビリティが明確である。これに関連してマグロ類に水銀濃度が高いことが問題視されているが、水銀の発生源は地殻からとされており、これがプランクトンから順次大型生物へと食物連鎖によって蓄積される。天然マグロはイワシなどの小魚から外洋ではカツオなどの大型魚類も摂食することから魚体の成長に伴って水銀濃度が高くなる。これに対し完全養殖クロマグロの場合は餌料となる魚類の大きさはせいぜいサバ類程度であることから生物濃縮の程度は小さく、したがって水銀濃度は低く抑えられている(図2)。よって水銀濃度からみて完全養殖クロマグロは天然大型クロマグロと比較してより安全であることがわかる。

魚体重と水銀濃度の関係

図2 魚体重と水銀濃度の関係(安藤 2008)