2009年1月号
連載2  - 新しい技術者像を探る
研究開発リーダーと研究者の役割
顔写真

西 美緒 Profile
(にし・よしお)

ソニー株式会社 社友
株式会社アルゴグラフィックス
監査役

視野を広くし独創的な考えを必要とする研究開発組織は、均質な人間の集団ではいけないと主張する。異論や反対意見を許容することが豊かな発想に導く。懐の大きい上司に恵まれた部下がやらなければならないことは毎日の勉強である。

不整な構造

まず、図1を見ていただきたい。プルトップ(あるいはプルタブ)缶の上部の写真なのだが、この引き開ける部分が左右非対称になっているのに注目してほしい(AとB の左右の位置が微妙にずれている)。

なぜ非対称なのか? Cを引っ張ると、力はまずBに集中してかかり、そこからタブが切れ始める。もし、左右対称だと、力はAとBに分散されるので開けるにはかなり大きな力が必要になる。つまり、プルトップ缶をいびつな構造にすることよってうまく機能させている。

組織も同じように多少いびつな構造の方がうまく機能するのではないか。特に、幅広い独創的な考えを必要とする研究開発組織は不整な方が良いと思われる。

写真0

図1 プルトップ(プルタブ)缶

クローン人間

私がいびつな構造の方が良いというのは、次のような意味だ。

阿刀田高の『ブラック・ジョーク大全』(講談社文庫)に次のようなジョークがあった。

社 長 「キミ、人間にはなぜシッポがないか、知っとるかね」
社 員 「いえ、存じませんが」
社 長 「切れるほどよく振ったやつが生存競争で勝ち残ったんだよ」

企業の組織でも似たような話を耳にする。異論を差し挟んだり、反対意見を開陳するような人材は上司から遠ざけられたり、疎んじられたりする。その結果、組織内で生き残れるのはシッポを振った者だけになる。つまり、均質な人間の集団になってしまう。種々の意見、異なる考え方を持った人たちの集まり、つまり不整な構造にはならない。それでは組織として機能しない。

ある男が、猿を1匹飼っていた。この猿は、主人のやることを何でもまねをする。飼主が右手を上げれば猿も右手を上げる。頭をかくと猿も同じことをする。あるとき、男はふと考えた。こいつが独りでいるときはどうしているのだろうかと。で、彼は、猿を一室に閉じ込めて、自分は隣室のドアの鍵穴から行動を観察することにした。しばらくして、そっと猿の部屋をのぞいてみると、猿も鍵穴に目をくっつけてこちら側を探っていた。

前述のようなシッポ振り組織では、部下たちはこの猿のように上司の顔を見て仕事をするようになる。部下たちの考えは上司のそれに統一されてしまって、いわゆる尖がった考えというのが生まれなくなる。研究開発を業務とする組織ではこれは恐ろしいことだ。

生物の増殖は、無性生殖か有性生殖で行われる。繁殖という点から考えてどちらが有利かと言えば、前者であることは贅言(ぜいげん)を要しない。細胞分裂して増殖する細菌を考えてみよう。一個体が存在していれば、倍々に増えていくわけだから、簡単に繁殖できる。

ところが、有性生殖ではそうはいかない。まず相手を見つけることから始めなければならないし、見つけても見向きもされないかもしれない(そんな経験をお持ちでしょう?)。それにもかかわらず、不利な繁殖方法を採用した有性生殖生物の方が繁栄している。なぜだろうか。

実は、無性生殖はクローンを作って増殖しているわけで、すべてが親のデッド・コピー、つまり、同じ遺伝子を持った集団ということになる。これは種の存続という点では具合が悪い。すべての生物は外敵、例えばウイルスに対する防御機構を持ってはいるけれど、1度それが突破されたら、クローンは同じ防御機構しか持っていないので、全員がウイルスの侵入を許すことになり、一族郎党が全滅の危機にさらされる。

一方、有性生殖では結婚によって異なる遺伝子が注入されるので、一部の個体がウイルスにやられても、ウイルスが侵入できない個体も存在するから、種としては絶滅を免れる。

研究組織もまったく同じだと思われる。前述のような仲良し組織は、言ってみれば考え方の上では上司のクローンのようなもので、その考えが適応できないような環境変化が訪れたら、抵抗力がなく全滅するだろう。従って、上司は異なる考えを許容し、異端者でも懐に迎え入れ、バラエティーに富んだ発想を有する集団にしなければならない。

クローンにならないために

さて、そのような懐の大きい上司に恵まれた部下が、独自の発想を持つにはどうしたら良いだろうか。

よく「ひらめき」などということが研究開発では必要だというけれど、何の下地も無いところにひらめきなど生まれようがない。その間の事情を福沢諭吉が「文明論之概略」に書いている。少し長いけれど引用しよう*1

徳義は一心の工夫に由て進退するものなり。(中略)在昔、熊谷直実が敦盛を討て仏に帰し、ある猟師が子を孕たる猿を撃て生涯、猟を止めたりというもこの類なるべし。(中略)智恵の事に至りては大いにその趣を異にせり。人の生は無智なり、学ばざれば進むべからず。(中略)人の智恵はただ教に在るのみ。これを教ればその進むこともまた際限あるべからず。既に進めば、又退くことあるべからず。(中略)一心の工夫を以て、とみに智を開くの術あるべからず。(中略)人の智恵は外物に触れずして、一日の間に変化すべからず。(中略)孟子は浩然の気といい、宋儒の説には一旦豁然として通ずるといい、禅家には悟道ということあれども、皆これ無形の心に無形の事を工夫するのみにてその実跡を見るべからず。(中略)ワットが蒸気機関を発明し、アダム・スミスが経済論を首唱したるも、黙居独座、一旦豁然として悟道したるにあらず、積年有形の理学を研究して、その功績漸く事実に顕われたるものなり。達摩大師をして面壁九十年ならしむるも、蒸気電信の発明はあるべからず。

知識は宗教的な悟りとは訳が違う。座して待っていても何も出てこない。毎日の勉強の結果から発明が生まれると言う。学べば学ぶほど先に進める。

内田百は、忘れることを恐れず、何でもぎゅうぎゅう頭に詰め込めと言う。習っただけ覚えているというのはけちな根性だ。知らないということと忘れたということは違う。忘れるには学問をしなければならない。忘れた後に本当の学問の効果が残る、と言っている。

先に、ウイルスの侵入について書いたけれど、ウイルスは何にでも入り込めるわけではない。ウイルスを鍵だとすると、その鍵に合う鍵穴を見つけて侵入してくるのだ。われわれが知識を身に付けるのも同じ理屈で、知識という鍵に合った鍵穴を持っていないと、知識は定着しない。いろいろな鍵穴を用意するためにも、毎日の勉強が必要なのだ。

*1
福沢諭吉 松沢弘陽校注「文明論之概略」(岩波文庫)