2009年6月号
連載1  - 工学部離れは本当か?
前編 「工学部離れ」という錯覚
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濱中 淳子 Profile
(はまなか・じゅんこ)

独立行政法人 大学入試センター
研究開発部 助教


いつからか新聞、雑誌でしばしばみられるようになった「工学部離れ」という言葉。関係者だけでなく、社会の一般的見解になりつつあるが、なぜそうした論議が展開されるのか。そして、そもそも本当にそうした「工学部離れ」は起きているのか。

まん延する「工学部離れ」言説とそのロジック

新聞や雑誌などの報道で「高校生の工学部離れが進んでいる」との言説をしばしば目にするようになった。ビジネス雑誌『日経ビジネス』の2008年8月18日号は「さらば工学部」という特集を組み「いまやすっかり不人気学部」になった工学部の実態と大学側が取り組む対応策を紹介している。また、河合塾が発行している進学情報誌『Guideline』が2006年9月に取り上げたテーマは、まさに「受験生の工学部離れを検証する」。同じ内容の新聞記事を探すのも労を要することではなく、例えば、2008年1月28 日の日本経済新聞(朝刊)には、次のような記事が掲載されていた。

日本は1947~49年生まれの「団塊の世代」が60 歳定年退職期を迎える一方、少子化や若者の「理工系離れ」で将来を担う新卒技術者の確保が難しくなっている。かつては「花形」だった工学部の志願者数は2007年の入試で30万人を割り込み、ピークの1992年の半分以下となり、技術者不足が深刻になっている

このような議論は枚挙にいとまがない。「工学部離れ」という用語をYahoo!Japanで検索すれば、ヒット件数は29,600件にものぼり、試みに検索した「経済学部離れ」のヒット数2 件とは、大きくかけ離れた数値を示す(検索日:2009年4 月3日)。

図1

         図表1 「工学部離れ」論議のロジック

いまや「工学部離れ」は、関係者のみならず、社会の一般的見解になりつつあるようだ。そしてこれら「工学部離れ」を扱った論議を管見すれば、おおよそ次のようなロジック、もしくはその一部に焦点をあてたものになっている(図表1)。すなわち、第1 に工学部志願者減少の実態を確認する。そして第2 に、理数系嫌いや長引く不景気による資格志向の高まり、そしてそれに伴う医療系人気などが、その背景にあることが指摘される。その上で第3に科学技術立国の危機に対する懸念が示され、第4に大学(工学部)側が取り組んでいる対策の事例、例えば出前授業による高校生の興味の喚起や組織の改編、名称変更、ならびに地方での受験機会の提供などが紹介される。

3つの疑問点

なるほど、わかりやすい構図ではあるが、ただこのロジックには危うさが含まれているように思われる。3つほど指摘しておきたい。

1つは、この議論の大前提である“現状=「工学部離れ」が起きている” という認識はそもそも妥当なのか、というものである。というのは「工学部離れ」を人数で語ることには、問題があるように思われるからだ。周知のように、1990年代前半から18歳人口は急激に減少している。工学部志願者の減少もこうした総数の動向を受けて生じただけのことかも知れず、だとすれば「工学部離れ」という次元の問題ではないことになる。

2つ目は、性別を考慮してデータをみた方がいいのではないか、という疑問である。大学進学をめぐる昨今の大きな特質の1つは、女子学生の増加にある。医療系人気も、女子進学者の増加によって目立つようになったことなのかもしれない。

そして第3の疑問は、高校生の進路選択について、いま少し違った観点から検討する必要もあるのではないかということである。資格志向が「工学部離れ」の背景にあるというが、その影響にも限界があろう。また、工学部であれば、第二次産業の状況との関連からも進学動向を検討する必要があるだろうし、こうした就職問題だけでなく、入学のしやすさといった入り口部分との関連で理解する視点も重要であるはずだ。

常識になりつつある一方で、十分に検証されたわけでもない「工学部離れ」言説。今回の連載では、いくつかのデータを紹介しながら、工学部が置かれている現状について、いま少し異なった見方を提示してみようと思う。今回の残りの部分では、そもそも「工学部離れ」が起きているという判断には再考の余地があるということ。この点について議論することにしたい。

「工学部離れ」が起きているとは言い切れない
図2

図表2 工学系学部志願者数の推移

「工学部離れ」言説の主な根拠になっているのは、引用した新聞記事にもあるように、ここ十数年ほどの工学系志願者数の推移である。図表2 に、文部科学省『学校基本調査報告書』を用いて、1990年以降の工学系学部(「工学部」と「理工学部」を足し合わせたもの)に志願したものの延べ数の推移を示した*1。90年代前半までは80万人を超えていた志願者数も、90年代末には70万人を切り、いまやその値は50万人以下にまで減っている。確かに、大幅な低下が確認される。

図3

図表3 全大学進学志願者に占める工学系学部・
     経済学部志願者比率の推移

しかしながら「工学部離れ」を検証するにあたって、志願者数という人数のみを指標に用いた分析、さらには性別を考慮しない分析では不十分であることは先にも述べたとおりである。そこで「全大学進学志願者に占める工学系学部志願者の比率」の推移を男女別にみることによって、工学系学部の志願状況を見直してみることにしたい。図表3 は、その結果を示したものである。なお、比較対象として、社会科学系の中心的存在である経済系学部の状況も加え、タイムスパンもやや長めに取った。

この図表をみて明らかなのは、比率という指標で実態をみれば、「工学部離れ」という現象はみえてこないということである。男子の推移でみれば、その最たる特質は「低下」にではなく「波を打っている」点にある。1970年から2006年までの37年の間に、山は3 つほど存在しており、現在の比率が最低というわけではない。現在よりも、80年前後の方が「悪い」状況だったという興味深い結果もうかがえる。女子に至っては、90年代以降に徐々に数値が上昇し「ほとんど志願しない状況」から脱しつつある。さらに言えば、志願者離れが騒がれている工学系学部よりも、むしろ経済学部の方が深刻な状況を抱えているようにもみえる。90年前後に男子大学志願者の2割が進学を希望していた経済学部だったが、それ以降、比率は低下の一途を示し、いまやその数値は13.4%まで落ち込んでいる。

こうしたデータをみる限り「工学部離れ」が起きているとは言い切れない。少なくとも、大学進学志願者という集団の中で、工学系学部人気が特に下がっている、下がり続けているという気配は見いだされない。そして現在でも、男子大学進学志願者の5人に1人(20%)が工学系学部への進学を志願しているのである。志願者数が減っているという事実のインパクトは大きいかもしれない。しかし、そのインパクトに惑わされ過ぎた現状理解は危険である。


さて、連載後半である次回は、高校生の進路選択という側面から「工学部離れ」言説を再検証することにしたい。波打つ工学部志願者比率。図表3でみたこの変化を理解するためにも、進路選択の実態を検討しておくことは必要だ。資格志向の実態とその影響。第二次産業の状況と進路選択の関係。そして、入学のしやすさといった入り口部分の検討からみえてくるもの。こうした側面からの分析を加えることによって、工学系学部が直面している状況を示していくことにしたい。

*1
特に断らない限り「工学系学部」について、これら2つ(工学部と理工学部)を足し合わせたものを指すことにしたい。分析の煩雑さを取り除くための便宜上の方法であり、工学系でありながらも、ほかの名称が付いている学部(例えば「総合情報学部」のような名称が付いている学部)を含めなかったことによる限界があることには留意していただきたい。