2009年7月号
特集  - 多芸多才 繊維の素顔
シルクの新しい応用分野をひらけ
顔写真

松尾 義之 Profile
(まつお・よしゆき)

株式会社白日社 編集長/
東京電力科学誌「イリューム」
編集長

シルクロードが象徴するように、人類の文明と長く深くかかわりのある絹(シルク)。東京農工大学科学博物館の朝倉哲郎館長(教授)、学芸員の中澤靖元助教らは、そのシルクを再生医療材料に応用する研究開発に取り組んでいる。医療に使うバイオ材料には厳しい条件が求められるが、シルクは生体適合性が優れているという。

今年で横浜開港150 年。1859 年当時、横浜港から海外に輸出されたのがお茶と生糸だった。特に生糸は昭和初期のころまで、わが国最大の輸出品として日本経済を支えた商品であった。養蚕農家は200 万戸を超え、製糸工場も全国に置かれた巨大産業だった。

しかし、ナイロンなどの化学合成繊維の登場により、生糸および絹織物産業は次第に衰退していく。それでも、戦後も、生糸はそこそこの産業であり続けたが、いまや見る影もない。1975年に10 万トンあった繭生産量は、2006 年にはわずか500 トン。現在日本国内にある製糸工場は、機械製糸工場が群馬県の碓氷製糸農業協同組合と山形県の松岡株式会社のわずか2 社、そのほか、国用製糸場*1と呼ばれる小規模工場として長野県岡谷市の宮坂製糸所と下諏訪の山正松沢製糸所にあるだけだ。

再生医療材料にシルクを
写真1

写真1 
     東京農工大学
     科学博物館長・教授
     朝倉哲郎氏



写真2

写真2 
     東京農工大学科学
     博物館助教(学芸員)
     中澤靖元氏

かつての隆盛とはいかないまでも、生糸あるいは絹(シルク)を新たな形で人類文化に不可欠な商品に育てあげることはできないか。こんな夢を抱いて基礎研究を進めているのが、東京農工大学科学博物館の朝倉哲郎館長(同大学工学部生命工学科教授)(写真1)や学芸員の中澤靖元助教(写真2)たちだ。ターゲットは再生医療材料としての応用である。

「外科手術の縫合糸として、絹糸は長く使われているんですよ」と中澤助教。縫合糸としては化学繊維やステンレスワイヤなどもあるが、シルク縫合糸は天然繊維の代表として、長く広く用いられてきた。ヒトの体に使用しても安全で、しかも強度があるためである。

いわゆる医療用バイオマテリアルについては、必要な条件(どんな機能や強度が必要か、生体適合性はどうか、製品の品質管理が容易か、殺菌消毒などができるか、製造コストは低いか)が細かく議論検討されている。シルク(正確には家蚕絹フィブロイン(写真3))は、これらの条件の多くを満たしている、と中澤助教らは評価する。特に注目すべきは、生体適合性が優れている点である。材料の側から生体への影響、生体の側から材料への影響が、共に少ないのである。

この特徴を活かして、研究グループはすでにさまざまな応用へのトライアルを始めているのだが、それらを紹介する前に、少しだけ、シルクの基礎知識について触れておこう。

科学が明らかにするシルクの秘密
写真3

写真3 家蚕絹フィブロイン



写真4

写真4 野蚕の1種であるサク蚕から作られる
     絹糸(左)と人類初の合成繊維であるシャル
     ドンネ人絹(右)

蚕(かいこ)とは、ガの仲間であるカイコガの幼虫のこと。蚕は、蛹(さなぎ)に変態する直前に、細い繊維を吐き出して繭(自らを包み込むカプセル)を作る。この繭から繊維をほぐし取り、5 ~10本の繊維を束ねて作った糸が生糸である。

「糸」という漢字(象形文字)も、一説では、下に並んでいる部分が繭であり、上の部分が繊維を寄り合わせる様子を表現しているという。別の説では、旧字体である「絲」は、できた生糸をよった形を示しているという(現代でも生糸原糸はこの形をしている)。いずれにせよ、漢字が成立した紀元前1000 年ごろには、すでに生糸は存在していたわけだから歴史は長い。

人間の手で飼われている蚕は家蚕(かさん)と呼ばれるが、これ以外にも、自然に生息する野蚕(やさん)が幾つもあり、そこから作られる生糸もある(写真4)。

蚕の吐き出す繊維の断面を見ると、フィブロインというタンパク質繊維の周りを、セリシンという水溶性のタンパク質が保護した形になっている。生糸を作るときに繭を熱湯で処理するが、これによって周囲のセリシンが溶け出し、一部セリシンが残るものの、基本的にはフィブロイン繊維が5 ~10 本よじられた糸が生糸というわけである。

朝倉教授・中澤助教らのグループやほかのグループの研究によって、家蚕絹フィブロインのアミノ酸一次構造および立体構造がすでに明らかにされている。また、朝倉教授・中澤助教らの固体NMR測定によって、絹フィブロインに特徴的な三次元分子構造も明らかになった。さらに、実際に蚕が繊維を吐き出す仕組みについても、蚕の解剖学的な解析(1,000枚の連続切片)およびその三次元画像再構築によって、詳細に明らかになっている。

これらの基礎研究に立って、朝倉教授・中澤助教らのグループは、絹糸の改良にも取り組んできた。具体的には、家蚕と野蚕の強い配列同士をつなぎ合わせたトランスジェニック蚕を作るのである。あるいは弾性に富む遺伝子配列をクモの牽(けん)引糸から持ってきて蚕遺伝子に取り込むような試みも進めてきた。その結果、強くて弾性に富む新しい絹糸はもちろんのこと、例えば細胞接着性に優れているといった反応機能の改良も実現させた。具体例を挙げると、タンパク質のフィブロネクチンやインテグリンを組み込んだ絹フィルムで細胞を培養すると、接着活性が6 倍になることが確認されている。

絹のフィルム、スポンジ、チューブ
写真5

写真5 絹フィブロインの形状加工

「絹繊維というのは過去の技術の蓄積や経験が膨大にあるので(器械の一部は、東京農工大学科学博物館に動態展示されている)、さまざまな形状のものを作ることが可能なのです」と中澤助教は言う(写真5)。複数本をより合わせた糸、平面状に薄くのばしたフィルムだけではない。エレクトロスピニング法という方法を使うとナノファイバーの不織布ができる。凍結乾燥すれば、スポンジ状の塊を作ることができるし、組みひもを編むような器械を使えば、チューブ状(管状)の構造を作ることができる。

実は、こうした構造は、1 つ1 つ、具体的な生体材料としての応用に結び付いており、それぞれ、ほかの大学や研究所との共同研究が進められているのだ。フィルムの形での応用ターゲットは、角膜移植の代替だ。再生基盤材料が実現すれば、そこに患者自身の内皮細胞を培養再構築し、それらを移植する治療法(培養細胞シート移植)が夢ではなくなる。

絹フィブロインのスポンジは、軟骨再生の足場材料としての期待がかかる。骨細胞を取り出してスポンジの空間部分で培養し、それを欠損部に移植すると、ウサギ大腿(だいたい)骨での実験だが、きちんと再生が起こることが分かっている。これらは日本大学松戸歯学部の西山典宏教授らとの共同研究だ。

絹不織布は、足場材料としてだけでなく、薬剤保持層としての応用も期待できる。不織布部分に薬剤を保持させておけば、徐放(ドラッグデリバリーの1 つ)が可能になる。また、血管狭窄(きょうさく)の治療法として、ステント(金属製の網状のチューブ)を患部で開く治療法が行われており、ステント表面には薬剤を塗布して再狭窄を防ぐ処理がなされているが、この薬剤保持層として、絹不織布は期待がかかる。

小口径人工血管としての期待

絹フィブロインの応用で特に注目したいのが、小口径の人工血管だ。現在のところ、管径10 ミリ以上の大口径人工血管は、ポリエステル繊維によるものが実用化されていて、腹部大動脈の置換などに使われている。また管径4 ~10 ミリの中口径は、ePTFE(延伸多孔質ポリ四フッ化エチレン)のものが使われている。

ところが、管径4 ミリ以下の小口径人工血管には優れたものがないのが現状なのだ。つまり、人工血管に置き換えても、比較的短期間で再び血栓を起こすケースが多い。そこで主として、患者自身の静脈や動脈を移植する方法がとられている。

4 ミリ以下の小口径動脈の代表は、心臓の栄養補給を担っている冠状動脈だ。ここの障害は心筋梗塞(こうそく)を起こす。また、糖尿病でひざ下の末梢(まっしょう)細動脈に血栓が起こって壊死(えし)すると、脚を切断しなければならなくなる。つまり、小口径人工血管の開発は、緊急を要する開発課題といってよい。

理想的な人工血管に要求される条件は、生体との親和性、抗血栓性、低漏血性、分解性、強度・柔軟性など多岐にわたる。こうした中で、東京農工大学科学博物館の朝倉哲郎館長や中澤靖元助教らが、絹フィブロインを利用することで、課題をすべて解決すべく、現在、徳島大学大学院の佐田政隆教授(循環器内科)や順天堂大学医学部の代田浩之教授(循環器内科)のグループと精力的に共同研究を進めているというわけなのだ。

写真6

写真6 作成した絹製人工血管(1.5mm)

ラットの動物実験であるが、すでに、管径1.5ミリの人工血管(写真6)を腹部大動脈に置換移植した場合、12 週後、比較対照として移植したPTFE 人工血管では血栓生成による虚血が顕著に生じたのに対して、絹フィブロイン人工血管の開存率は85%以上という好成績を収めている。「興味深いことに、絹フィブロイン人工血管では、内部に血管内皮細胞が生着する上、血管組織が再形成している様子も見られています」と中澤助教。

ヒトへの応用はまだである。免疫反応などの問題も考えられ、新たな解決課題も登場するかもしれない。しかし、外科手術用縫合糸として絹フィブロインが使われてきた長い歴史を見れば、実現は決して夢物語ではない。筋のよい材料だからだ。

シルクの新たなる道を

絹(シルク)は数千年にわたって人類文明史の中で重要な役割を演じてきた。シルクロードは東西文明の交流路であり、そこに「シルク」の名が冠されていることは、絹がいかに価値ある商品であったかを端的に物語っている。

かつての日本は、高い文化文明が流れ着くシルクロードの終着駅であった。しかし今日、その日本から全世界に向けて、創造的で優れた工業製品だけでなく、文化文明までもが逆流を始めた。その1 つにシルクの新たなる応用製品が加わっても、何の不思議もないであろう。

*1
戦後、座繰製糸のなかに機械化するところが出たため、製糸業法の特例として免許が与えられた製糸工場。