2009年7月号
特集  - 多芸多才 繊維の素顔
蚕を病態モデルとした医薬品の開発
顔写真

村上 和久 Profile
(むらかみ・かずひさ)

株式会社ゲノム創薬研究所
研究主管・薬学博士


東京大学発ベンチャー企業の株式会社ゲノム創薬研究所は、蚕(かいこ)による医薬品開発を目指している。ヒトと蚕で薬剤の治療効果が類似し、蚕が感染症の病態モデル動物になるという同大学の関水和久教授の研究成果を活用している。

株式会社ゲノム創薬研究所の設立と事業展開
写真1

写真1 蚕細菌感染症モデルと抗生剤による治療

蚕(かいこ)の血液中にヒト病原細菌あるいは真菌を接種して1 日か2 日おくと蚕は死んで黒ずんでくるが(写真1 中)、感染直後に臨床で使われている抗菌薬を投与した場合には生き残り、菌の代わりに生理食塩水を注射した個体と変わらない(写真1 左)。関水和久教授(東京大学薬学系研究科)のこの発見は、ヒトと蚕で薬剤の治療効果が類似し、蚕が感染症の病態モデル動物になることを示している。

弊社(株式会社ゲノム創薬研究所*1)は2000 年に、この関水教授の研究成果を活用して蚕による医薬品開発を目指すベンチャー企業として、関水教授らが出資して設立された。大手ベンチャーキャピタルからの出資も受け、株式の上場も目指している。なお、上記発見を報告した論文は米国微生物学会から2004年優秀論文に選ばれている。

会社設立以来、関水研究室と共同研究を続け、関水研究室では技術の基礎的あるいは原理的な部分を研究し、弊社ではその成果を化合物等のスクリーニングに応用してきた。弊社の柱の1 つである医薬品開発については、上記感染症モデルを用いて抗菌治療効果を持つ化合物のスクリーニングを進めているが、これ以外に糖尿病モデル、肝障害モデルなどの技術も保有している。化合物スクリーニングは創薬過程の最上流部分に相当し、商品化には相当の時間がかかる。このためもう1 本の柱として蚕を利用した機能性食品(野菜由来の自然免疫活性化物質のサプリメントなど)、食品の安全性確認技術なども開発している。ベンチャー企業にもかかわらず複数のビジネスを展開するのは、商品化の早い技術を先に立ち上げ、経営の安定化を図るためである。

以下、蚕を病態モデルに用いた弊社の医薬品開発の取り組みを紹介する。

病態モデルとしての蚕の利点

「マウスでもヒトからは遠い動物と思っているのに、無脊椎(せきつい)動物の蚕など話にならん」。数年前、筆者(当時製薬会社研究所に勤務)が関水教授から蚕感染モデルを使って抗菌薬の治療効果を評価できるという話を社内で聞いたとき、筆者も含めその場にいた研究員が抱いた感想である。

確かに蚕は、新薬承認申請データを得る実験動物ではないかもしれない。だが、少し視点を変えて化合物スクリーニング用として見た場合には、薬物代謝でヒトとの共通点があり実に利点の多い動物である。利点としては、例えば [1]小さいため(マウス体重の10 分の1)少ない検体量で評価可能なこと [2]取り扱いが容易なため多数検体の評価が可能なこと [3]検体の投与ルートを血液(静注に相当)と腸内(経口に相当)に使い分け可能なこと [4]血液や腸管などの採取が可能なこと [5]卵(タネ)を安定供給できる体制が日本では確立していて遺伝的に差異の少ない個体を常時入手可能なこと、などが挙げられる。

感染症モデル

現在弊社では、土壌細菌の培養上清や化合物ライブラリーの中から、黄色ブドウ球菌あるいは緑膿菌に感染した蚕で治療効果を示す抗菌化合物を探索している。すでに土壌細菌の培養上清から幾つかの治療効果のある抗菌化合物を見いだしているが、その中には新規構造を持つ化合物も含まれている。この方法の良いところは、治療効果を指標にしているため動物体内での抗菌活性に加えて体内動態の良い化合物を選び出せることである。良い主作用を持っていても体内動態不良ですぐ体内から消失してしまう化合物が多いので、この方法を使えば哺乳(ほにゅう)類においても治療効果のある化合物を効率よく見つけることができる。

糖尿病モデル
写真2

        写真2 グルコースの摂食による蚕の
            成長阻害



図1

   図1 グルコースの摂食による血糖値の上昇と
       ヒトインスリンの血糖降下作用

グルコースを混ぜた餌を与えた蚕の血液を調べたところ、血糖値が上昇していることが関水研究室で発見された。このとき同時に成長阻害も起こり(写真2)、糖尿病患者の場合と同様、蚕においても血糖値が上昇すると何らかの障害が引き起こされることが判明した。ヒトインスリンを投与すると血糖値は下がり、成長阻害も回復した(図1)。さらに糖尿病薬メトホルミンを投与しても血糖値は低下した。これらの結果が示唆していることは、ヒトと蚕で高血糖病態(糖尿病)に何らかの共通性があるという驚くべき事実である。

関水研究室で開発されたこの蚕糖尿病モデルを用いて弊社で血糖降下作用を指標にスクリーニングしたところ、哺乳動物においても血糖降下作用のある物質を見いだした。このスクリーニングもやはり治療効果を指標にしており、蚕を用いるスクリーニング法の有効性を実証している。

かたや哺乳類の長、かたや無脊椎動物。蚕はヒトとは遠く離れた動物ではあるが、意外なほどヒトに近い一面もあり、医薬品開発の病態モデルとして大きな可能性を秘めた動物である。

*1 :株式会社ゲノム創薬研究所
http://genome-pharm.jp/index.html