2009年10月号
特集  - ITと地域産業創造
転機迎えたサッポロバレー
「サッポロバレー」と呼ばれる札幌市内のIT(情報技術)企業の集積。ITによる地域産業創出の成功例とされるが、大きな転機を迎えている。

内閣府の海外向けオンライン広報誌「Highlighting JAPAN」2009年3月号は「初音ミク」という人気アイドル歌手を紹介している。歌手といっても現実には存在しない。コンピューターに歌わせる音楽ソフトウエアの製品名およびキャラクターの名称である。

初音ミクを開発したのは北海道札幌市中央区に本社を置くクリプトン・フューチャー・メディア株式会社。コンピューターで使う音素材を制作・販売している企業である。札幌のIT(情報技術)産業について取材をしていると、どこでも初音ミクと同社のことが話題になる。こうしたソフトは年間1,000本売れればヒットといわれるが、初音ミクは2007年8月の発売から3カ月間で2万5,000本というメガヒット。そのソフトを用いた楽曲や動画が動画投稿サイトに数多く投稿され、音楽CDやキャラクター商品も発売され人気を博している。今でも地域では熱い話題である。

とはいえ、これは札幌のIT業界の1つの断面にすぎない。

売上高10年で2倍強
図1

図1 北海道情報産業総売上高の推移



図2

図2 業種別売上高(平成19年度)



図3

図3 道内外売上比率(平成19年度)

まず、現状を整理しておく。北海道全体が対象だが、社団法人北海道IT推進協会が毎年、IT産業の実態調査*1を行い、発表している。最新の「北海道ITレポート2008」は、IT産業835事業所に調査票を郵送し、回答を得た316事業所のデータを基にはじき出した。概要は次の通りだ。

2007年度の売上高は4,152億円で、7年連続の増加。1997年度(2,014億円)から10年間で2倍強に拡大(図1)。
事業所の77.8%が札幌市に集中している。売上高では88.2%、従業員数では84.4%になる。札幌市内では中央区、JR札幌駅北口を中心に集積している。
工業統計で見ると、食料品製造業、鉄鋼業、石油製品・石炭製品製造業、パルプ・紙・紙加工品製造業に次ぐ規模。
業種別の売上高はソフトウエア業49.0%、情報処理・提供サービス業19.7%、システムハウス業4.4%、インターネット付随サービス業1.3%など(図2)。
道外に本社のある事業所(63)の売上高が全体の4分の1弱。
従業員1人当たりの売上高は道内の事業所が1,991万円であるのに対し、道外本社事業所はその1.6倍の3,181万円。
売上高に占める道内向けシェアは62.2%、道外向けが37.2%、海外0.6%(図3)。道外向けが増加している。

JR札幌駅北口を中心とした札幌市内のIT企業の集積は「サッポロバレー」と呼ばれる。ITによる地域産業創出の成功例とされる。サッポロバレーは30年余りの歴史を持つ。1976年に「マイコン研究会」が結成されたのが起点といわれ、北海道大学の学生がベンチャーを起こし、成長する企業もあった。札幌駅北口の集積が進んだのは90年代。交通の便がよく、北大に近く、市街地では比較的オフィスの賃料の安いことが背景である。対象は北海道全域だが、経済産業省の産業クラスター計画「北海道ITイノベーション戦略」(2007~2010 年度、事務局:北海道IT推進協会)が実施されている。

下請けの仕事が拡大

昨年秋のリーマンショック以降の経済危機で、2008年度の売上高はほぼ横ばい、本年度は減少するとの見方が支配的である。

「今回の経済危機の影響が大きいのは組み込みソフト。札幌のIT業界はこの分野が全体の10%程度なので、影響はそれほど大きくない」「研究開発型企業からコールセンターのようなものまで多様なIT企業があるうえ、大企業の城下町でもない。地域産業としてはリスクが分散されているといえ、この不況下でも“まいった” という感じがない」といった声がある。

とはいえ、これまでの長期拡大基調が縮小に転じ、企業間の競争が激化している中で、札幌のIT業界が抱える構造的な問題があらためて浮き彫りになっている。

産業クラスター計画の「北海道ITイノベーション戦略」は、北海道のIT産業の課題として次のようなものを挙げ、それぞれについて解決するための事業を行っている*2

道内IT企業は経営資源の乏しい中小零細企業(新技術・新サービス開発力向上プロジェクト、クラスター成果販路開拓プロジェクト)
道内IT産業の売り上げの約半分が下請け受注(企業体質改善プロジェクト)
少ない地域需要(地域産業連携促進プロジェクト)
優秀な人材の流出・高度技術者の不足(人材基盤プロジェクト)
アジア諸国へのオフショア拡大による受注減少の懸念(海外展開プロジェクト)

(カッコ内は2009年度事業)

地域IT産業の総売上高が2,000億円ぐらいまではソフト開発が中心だったが、2,000億から4,000億円に拡大する過程で首都圏企業の下請けの仕事をするIT企業が増えた。

下請け受注は受託開発ソフトウエア、受託計算業務、受託運営管理などである。下請けといっても、3 次・4次請けが多い。

小さい企業規模、高度技術者の不足、条件のよくない下請け受注―この3つの相関をどこで断ち切るか。地域に技術、ノウハウが蓄積されないことが大きな問題である。企画力、顧客への提案力の弱さも課題の1つと指摘される。

地域産業にITを取り入れる

こうした課題にどう対応するか。産業クラスターの取り組みは前述の通りである。北海道IT推進協会の下舘繁良専務理事は「2005~6年ごろは海外との連携のプライオリティーが高かった。2007~8年は人材に力を入れた。今年は地域の主力産業にITを取り入れる活動を行っている。具体的には地域ごとに会員の勉強会を開催しているほか、農協・漁協など大きな機関へ御用聞きに出向く『ITキャラバン』も実施する」と語る。

札幌市も独自の活性化策に取り組んでいる。2008年9月、財団法人さっぽろ産業振興財団と「SaaSビジネス研究会」をつくり、市内のIT企業に新しいビジネスモデルの提案を行っている。SaaSとは、ソフトウエアの機能のうち、ユーザーが必要とするものだけをインターネットを介してサービスとして配布し、利用できるようにしたソフトの配布形態のこと。市の同研究会には50社程度が参加している。

また、市は首都圏からの大型案件受注拡大を目的として、市内IT企業が首都圏大手IT企業に人的ネットワークを持つ人材を新規に雇用することを支援する。厚生労働省の補助金を活用したものだ。さらに市は技術者の研修にも力を入れており、2006年度に技術者のスキルを測る「標準」をつくり2007年度から本格的に提供している。

自社の「売り」を持っている企業群

これまで、札幌市内のIT企業をひとくくりにした議論をしてきたが、これは誤解を招きかねない。自社の「売り(技術、製品)」を保有している企業、上下でなく自分の顧客を持っている企業ももちろん存在する。全体の10% 程度はそうした企業との見方がある。もともとサッポロバレーはそういう企業群からスタートしている。ベンチャー企業が孵化(ふか)、成長し、さらにそこから独立するという形で発展した。

株式会社ハドソン(1973年設立)、株式会社ビー・ユー・ジー(1977年創業)などはこうした時代の旗艦であり、地域では知られる企業だった。

しかし、ハドソンは2000年にIPOを実現、2005年には本社を札幌市から東京に移した。コンビニ収納代行システムで知られるウェルネット株式会社も同じ道をたどった。

「サッポロで大成功した企業が東京に移ってしまう」と嘆く声が少なくない。だが、それは本当に「課題」なのだろうか。仮に全国からITで一旗揚げたいという人々が札幌に来て起業し、成功して全国へ、そして海外へ羽ばたいていくのであれば、それはそれでいいのではないか。むしろ「ITで創業するなら札幌で」という「文化」をつくり出せていないことが問題なのかもしれない。

1980年代から90年代半ばまで、ベンチャー企業群を中心とする札幌のIT業界はかなり個性的だったようだ。おそらく、その後、地域の売上高合計が2,000億円を超えたあたりから変質してしまったのではないだろうか。「初音ミク」の例はあるものの、全体としてサッポロバレーは時代の先端をいく情報発信力を維持できているのか。

東京から引き寄せる札幌の魅力

北海道大学大学院情報科学研究科(メディアネットワーク専攻)の山本強教授はこう指摘する。

「最近、札幌に開発拠点をつくった東京の企業、あるいは東京で成功して第2創業的に札幌に進出してきた企業が4~5社ある。彼らは地元のIT業界とあまり交流がなく、大学にコンタクトしてくる。札幌にはこういう魅力が残っている」

仮に、東京から見た「サッポロバレー」の像と現実が乖離(かいり)しているのであれば、埋める努力をしなければならない。

ITによる地域産業創造の輝かしい成功事例という現実を踏まえながらも、サッポロバレーについてあらためて問わなければならないのは「札幌のIT業とは何か」「なぜ札幌でなければならないのか」であろう。

(登坂 和洋:本誌編集長)

*1
北海道経済産業局が実施していた「北海道情報処理産業実態調査」の内容を2006年度から北海道IT推進協会が引き継ぎ、独自調査として実施している。

*2
北海道ITイノベーション戦略URL:http://www.itcf.jp/it/index.html