2010年5月号
単発記事
韓国企業家精神の神髄とは?
-両班精神とアントレプレナーシップ-

崔 銀順 Profile
(チェ・ウンスン)

駒澤大学 経営学部 講師



世界的不況の中で韓国企業の躍進が際立つ。韓国企業がグローバル企業に展開できた原動力は何か。韓国企業がIMFショック等の厳しい環境を乗り越えてきたのは、単に経営の合理化とドラスチックなリストラクチャリングだけではない。その底流には、韓国固有な価値観としての“企業家精神の発揚”があると考えられる。

企業は「人」なり、組織は「人」なり、経営は「人」なりと言われる。韓国を代表する企業であるサムスン電子は創業以来「人材が第一」を経営哲学とし、「世界ナンバーワン」を目指し、優秀な人材が最大限の能力を発揮できるように、絶えず組織をデザインするのが特徴である。2009 年末に就任した同社の崔志成(チェ・ジソン)社長兼最高経営責任者(CEO)は、より客観的評価を重視する人事制度を取り入れる一方、ミドルマネジメントの大規模な抜てき人事を行った。「人」を経営の中心に考える韓国企業家のビジネス価値体系の根幹にあるものは両班精神ではないだろうか。

両班(やんばん)精神とは?

朝鮮時代(1392− 1910)に“科挙試験”*1 が採用されていた。「両班」はもともと文班(文臣)と武班(武臣)の2 つの官職の総称であったが、この500年の間に、国家統治理念であった朱子学が日常生活に浸透するにつれ、知識人や道徳的指導者を輩出する“身分階層” を意味するようになった。

科挙試験は自分の努力で「立身揚名」を可能にするダイナミックな社会的仕組みであった。伝統社会の教育システムは中央に国立大学である「成均館」と中等教育の「四部学党」を置き、地方の邑(ムラ)ごとに「四部学党」と同格の「郷教」が設置された。

私塾としては「書党・精舎」があり、これらは16 世紀には在地両班層による「書院」へと発展した。「書院」の発達は両班の概念を大きく変えた。私塾を通じて朱子学の理念が広まり、18 世紀以降には社会全体に両班志向化、すなわち両班的価値観とその行動パターンが見られるようになった。近代はこうした価値観、行動様式がより深く社会に浸透し、いわゆる「両班社会」が形成された。現在もなお韓国社会を特徴付ける基層文化として位置付けられる。このように韓国社会における両班の概念は、狭義には伝統社会における支配身分階層であるが、広義には朝鮮時代500 年にわたる社会慣習を通じて形成された“身分上昇志向としての韓国人のアイデンティティー” として定義付けられる。



図1 両班精神のモデル

「国のため」「家族のため」という大義名分のもとで培われた韓国固有な価値観としての両班精神は、経済の近代化過程で新たな精神構造の機能を果たし、今日の韓国企業家精神の原動力として働いたと考えられる。図1 は両班精神を表したものである。すなわち、両班精神は韓国の文化的伝統を基層文化とし、環境変化から学習された要因を表層文化とする2層に成り立つハイブリッドモデルである。

アントレプレナーシップ

アントレプレナーシップ(起業家精神)は国によって特徴を有する。精神は文化システムから形成されるものであるからである。

韓国は97年末のアジア通貨危機の直撃を受け、97年のGDP成長率は5%、98年にはマイナス6.7%と急落した。しかし、その1年後の99年にはプラス10.7%と景気は回復した。いかに韓国企業がスピーディーに対応し、韓国経済がダイナミックに対応しているかが読み取れる。近年は「サムスン」「LG」「現代」などの韓国企業がグローバル企業として躍進している。日本経済のバブル崩壊後、韓国企業が優位に立っている要因の1つは、世界の新しいビジネスモデルのパラダイムに素早く対応し、 官民タッグで標準化を図り、イノベーションを先導してきたことである。

1993 年に韓国政府はグローバル化という国家戦略を掲げ、「世界は無限競争時代である。競争力のある国だけが生き残る」と宣布し、国民に意識改革を求めた。同年、サムスングループの李建熙会長も「新経営」を宣言し、「妻と子供を除いてすべて変えよ」という表現で社員を奮起させた。

韓国政府は当時の携帯電話の世界標準であった欧州方式のGSM を採択せず、戦略的に米国方式のCDMA(苻号分割多元接続)を選択して国のスタンダードとした。また、政府は高速ブロードバンドインフラを世界最高レベルに整備し、韓国企業家が通信事業のビジネス分野で競争力を保ちやすい環境を整えてきた。今や、CDMA 関連の技術は韓国市場で成功し、世界の規格標準となった。現在、サムスン電子をはじめ韓国メーカーは、CDMAの分野では世界初の端末製品をつくるまでになっている。サムスン電子の崔社長は今年の春、サムスン電子の経営方針と戦略を「グローバルオープンイノベーションと戦略的提携に基づく多様なパートナーシップ形態で成長を目指す」と定めた。

韓国政府は産業構造の変化にスピーディーに対応し、「人」と「情報」をつなぐ“インフラ” をつくった。企業家は企業家精神を発揮して、その“インフラ” を積極的に活用することによってイノベーションを先導してきた。その根底にはハイテク技術を自然に受け入れ、使いこなす教育熱心な国民性がある。韓国企業家精神は現在の常識を越えるチャレンジ精神と闘争心も備えている。

韓国企業家の精神的原動力

各国の経済の背後にはその国固有の文化がある。IMFショック以後の「韓国企業家精神」の類型化に関するわれわれの研究*2によると、「温故知新型」が代表的であった。この型の価値観を検討してみると、「韓国の伝統的精神を継承しつつも、新たな環境変化に対応し、絶えず新たな要素を取り込んで、時代の要請に応えていく」という柔軟な側面を備えている。前述の「ハイブリッド型」の発展形態である。そうした歴史経路とほかの諸文化・諸制度の相互補完関係のもとに、今日の「韓国企業家像」が形成されたのである。いつの時代においても、韓国独自の経営形態を創り出す「韓国企業家の精神的原動力」は両班精神ではないだろうか。

●参考文献

(1) 崔銀順.アントレプレナーシップ−韓国企業家精神のダイナミズム−.東京図書出版会,2009.

(2) 妹尾健一郎. 技術力で勝る日本がなぜ事業で負けるのか. ダイヤモンド社,2009.

(3) 小倉紀臧.韓国は一個の哲学である.講談社,1998.

(4) 塚本潔.韓国企業モノづくりの衝撃.光文社,2002.

(5) 韓国経済新聞社編, 福田恵介訳.サムスン電子−躍進する高収益企業の秘密−.東洋経済新聞社.2002.

*1
朝鮮時代は文人化政策のため文科試験を重視した。文科試験は3年に1度行われた。「生員科」と「進士科」は『小科』とし、15歳以上が受験でき、合格すれば中央の最高学府である「成均館」に入学資格を与えられ、下級官吏に採用される。さらに、高級官吏になるためには『大科』に合格しなければならない。『大科』は「成均館出身者」と「小科合格者」が受験できる。試験は3段階に分けて実施された。すなわち、初試に合格した者は翌年の春、中央で行われる2次試験にあたる『覆試』に臨む。覆試合格者はさらに国王が宮中で直接試問する『殿試』(=3次試験)に臨む。厳しい競争を経て、首席で合格した者を『壮元』という。『壮元』は栄光に包まれ、一族も含め、多大な栄華を極めた存在であった。

*2
植竹晃久;佐藤和;崔銀順.三田商学研究.第46巻,第6号,慶應義塾大学商学会編, 2004,p.49-71.