2010年6月号
特集2  - ライフ・イノベーション
冬虫夏草から新薬が生まれようとしている
直感でテーマ設定「培養」「免疫抑制測定」は連携企業
顔写真

藤多 哲朗 Profile
(ふじた・てつろう)

京都大学 名誉教授
財団法人生産開発科学研究所 学術顧問


聞き手:登坂 和洋 Profile

(本誌編集長)

冬虫夏草の代謝物に起源を持つ新薬FTY720(フィンゴリモド)が20年の歳月を経て日の目を見ようとしている。ノバルティスが米国と欧州で多発性硬化症の治療薬として承認申請を行った。Fは藤多哲朗京都大学名誉教授、Tは台糖、Yは吉富製薬。リード探索段階でこれら産学が連携して開発した免疫抑制物質だ。多発性硬化症は難病の1つで、北米、北欧、オーストラリア南部などに患者が多いと言われる。承認されれば世界中の患者に福音をもたらすことが期待されている。なぜ冬虫夏草なのか、どういう経過で企業と連携したのか。藤多氏がFTY720の誕生物語を語る。

Q1 企業との共同研究のきっかけ、リード段階での産学共同に至った背景を教えてください。

藤多  まず、医療を志向した研究テーマへのチェンジである。昆虫寄生菌・冬虫夏草類縁菌から免疫抑制活性物質を分離しようと思ったのは徳島大学生物薬品化学講座での研究経過を踏まえ、新天地・京都大学へ移った時。「所変われば品変わる」と考えたことから始まった。昭和60 年(1985年)7 月、井上博之先生の定年退官の後を受けて京都大学の薬用植物化学講座を担当することになった。学期の途中であったため講義は故上田伸一助教授(当時)がしてくれていたが、悩みは教室運営と研究テーマをどうするかだった。京都と前任地徳島の間を何度も往復したが、完成したばかりの大鳴門橋をマイカーに荷物を積んで渡りながら、「よし、冬虫夏草をやってみよう」と思った。

冬虫夏草について造詣が深かったわけではない。現徳島大学薬学部長・生薬学教授の高石喜久氏が私の助手時代、木材腐朽菌トリコデルマポリスポラムの代謝産物の研究で共に苦労をしていた。この同名菌が免疫抑制剤・シクロスポリンを生産していること、また、昆虫に寄生する真菌類に私たちが取り出した化合物と類似の物質が存在すること、などは当然知っていた(後日シクロスポリン生産菌名は菌分類学上の見地からほかの属名に変更された)。

免疫学に関して全くの素人と言える天然物化学者が「冬虫夏草の免疫抑制成分の研究」をテーマに設定したのは、その周辺を化学的に研究していた者の直感と勘だけだ。強いて言えば、コオモリガ科の幼虫に菌フユムシナツクサタケが侵入後、1 年間共生し子実体を発生させるという記述を読んで、菌が寄生している間、幼虫の免疫様作用を抑制しているのではないかと、想像した。

免疫と言えば、農村医学の坂東玲芳先生のお手伝いで、栽培菊農家の接触性皮膚炎原因物質の探索をしていた。接触性皮膚炎はツベルクリン反応と同じでIV 型アレルギー。また、大阪大学山村研究室ご出身の螺良英郎先生(徳島大学第3 内科教授・呼吸器科)と家庭的にお付き合いさせていただき受けた影響は計り知れない。

そのころ、台糖株式会社研究所の遠山良介博士が、井上先生、武田美雄博士(当時、徳島大学薬学部助教授、現同大学名誉教授)の指導でクチナシの種子イリドイドの食用色素研究をしていた。京大の教授室で遠山博士から、これからのテーマを尋ねられたので、「冬虫夏草をやってみたいんだが・・・」と言うと、「台糖はスエヒロタケの抗がん多糖・シゾフィラン生産の経験から菌の培養は得意です。全面的に協力しましょう」と言う。私たちの研究室は菌の培養と免疫抑制測定の手段を持っていなかったので、これで、培養の連携企業は確保できた。あとは免疫抑制測定をどうするかであった。

私と遠山博士は、それぞれ別途に免疫に関心を持っている企業研究所を探した。その結果、遠山博士の釣り仲間を通して探り当てたのが吉富製薬だった。同社の免疫化学部門は京大の先輩の故萩原孝亮(萩原武美雄)氏(11 回26 年卒)が立ち上げたところで、そこでは新進気鋭の東北大学薬学部出身の千葉健治博士が頑張っており、われわれのドン・キホーテ的研究テーマに興味を示した。萩原先輩の豊富な知識と遠謀深慮に引きずり込まれるものがあった。先輩の趣味、コイ・フナ釣りの際には、新刊のJBC とNature を持参しているのではないかと思ったほどである。

こうして昭和61 年(1986 年)4 月、私が「研究指導、活性物質の構造決定、誘導化、合成」、台糖が「培養、活性物質の単離」、さらに吉富製薬が「免疫抑制活性測定」という役割分担で、共同研究が本格的にスタートした。

Q2 共同研究の経緯は?

藤多  私たちの免疫抑制剤の研究は、シイタケの栽培に大きな被害を与え た菌類トリコデルマ属菌や入手可能な冬虫夏草類縁菌の培養エキスの検 討から始まった。

そこで台湾のツクツクボウシに寄生する菌の培養液から、シクロスポ リンの3 倍近い免疫抑制活性を示すISP-I を単離することができた。言う までもなく、その培養および免疫抑制活性物質ISP-I の抽出単離は台糖で 行われた。本研究の初期、その構造研究や誘導体への変換は、京大薬学 部薬用植物化学講座の職員(当時助手、井上謙一郎博士・岐阜薬科大学 名誉教授)・院生・教室配属4 回生、台糖研究所研究員(佐々木重夫博士 ら)により行われた。それらの免疫抑制活性は吉富製薬により測定され た。

その構造は、すでに20 年ほど前にメルク社やイタリアの研究者たちに より抗カビ活性物質として報告されていた。しかし、免疫抑制について の記述はなく、さらにISP-I はシクロスポリン、タクロリムスと異なる作 用機序で作用していることが分かってきた。

吉富製薬も台糖も企業であって、学問的な興味のみには付き合ってく れなかったが、種子化合物ISP-I はシクロスポリンやタクロリムスと作用 機構が異なることから最初大変興味を示したくれた。

しかし、研究をさらに進めるためには、大きな問題が立ちはだかって いた。ISP-I の難溶性である。両電解質・アミノ酸型のISP-I ならびにその 誘導体は水にも有機溶媒にも難溶で生物試験をする濃度を得ることが困 難であった。当然、よほど顕著な薬効がなければ医薬品として成り立た ない。吉富製薬は撤収の考えを漏らしているとも聞いた。

そこで私は、可能な限りISP-I の官能基を変化・修飾しようと提案し た。その1 つがアミノ酸構造のISP-I のカルボン酸基を還元してアミノア ルコール構造に変えることであった。1分子中に酸・塩基をもって中和 されている状態から、酸性が無くなって塩基性に変化した。それによっ て、酸性水、有機溶媒に対する溶解性は良くなり、幸運にも免疫抑制活 性も保持していた。後になって分かったことだが、化学構造が変わるこ とによって作用機構も変化していた。また、このころから吉富製薬の合 成研究者も積極的に参加してきた。

この化合物をリード化合物としてFTY720が生まれてきた。また、作 用機構はアミノ酸構造のISP-I と異なりスフィンゴシンのアゴニストとし て作用することが分かってきた。スフィンゴシンは古代から疑問を人類 に示すスフィンクスと関連している。それは生体反応の鍵でありながら その意味が明確でなかったことから名付けられたと聞いている。

Q3 共同研究の知的財産の扱いは?

藤多  藤多・台糖・吉富の3 者の共同研究により開発されたFTY720 の知 的財産は関係者にその寄与に応じて配分されるべきと考える。国立大学 の場合は基本的に日本国民に還元されなければならないと考える。

Q4 現在の製薬業界をどうみていますか。

藤多  グローバル化、製薬企業の再編によって製薬企業の規模が大きくな り、巨大利益を生み出す医薬のみを追いかける傾向がある。難病、奇病 グローバル化、製薬企業の再編によって製薬企業の規模が大きくな り、巨大利益を生み出す医薬のみを追いかける傾向がある。難病、奇病 は自己免疫疾患が多い。これらの症例数は生活習慣病よりもはるかに少 ない。しかし、これらの治療に役立つ免疫抑制剤や再生医療の開発が望 まれる。   人類は宇宙に浮かぶ地球船の乗客の1 人である。船は太陽をはじめ多 くの宇宙の力によって運行されている。ほかの多くの乗客(生物)と仲 良く、また船の環境を守ることが人類の幸福につながる。現在の「独占、 強欲」から「思いやり、寛容」の時代へ変わるべきであると考える。

Q5 多発性硬化症治療薬としてFDAに承認申請しましたが、ご感想は。

藤多  大変うれしい。自己免疫疾患の難病の進行を止め、治療、予防につ ながることを切望している。京都大学退職後、お世話になった摂南大学 薬学部の河野武幸教授(専門:免疫化学)が病態モデル・実験動物を使っ て、FTY720 の自己免疫疾患(重症筋無力症、1 型糖尿病、アトピー性 皮膚炎)に対して著明な効果を示すことを明らかにした。これらの結果 が人類の難病を解決する治療法に結び付くことを心から願っている。冬 中夏草は地球上の四季、生物、陰陽の意を含んでいるが、セレンディピ ティも持っているように感じられる。

——ありがとうございました。