2010年8月号
インタビュー
産・学の息の長い「経験の交流」が必要

林 善夫 Profile
(はやし・よしお)

旭化成株式会社 顧問
科学技術振興機構イノベーション推進本部
開発主監


化学業界を取り巻く環境

地球上では人口爆発が起こっており、2050 年には現在の1.4 倍の90 億人になるとも言われています。CO2 問題、世界的な水不足などは深刻です。一方で、化石資源の枯渇、希少金属の世界的な需給逼迫(ひっぱく)という現象がみられます。こうしたグローバルな環境・エネルギーの問題は、化学企業にとって新たなビジネスを生み出す極めて大きなチャンスととらえるべきでしょう。量産品の生産拠点は海外へシフトしています。日本の化学企業は汎用製品の大量生産型から、高付加価値型やシステム提供型、あるいはサービス提供型への転換化学業界を取り巻く環境が避けられません。そのためには、新たなビジネスモデルを構築し、激しくなる国際競争に対応できる知価産業型へシフトしていかなければなりません。

研究開発を振り返る

旭化成の場合、1980 年代以降を振り返ると、自社技術にこだわらずライセンス、共同開発、事業提携など社外との連携を積極的に行うべしとの経営方針はありましたが、実際の研究開発では依然として自前主義がその中心でした。その中から幾つかの成果が上がってきているのも事実です。ホスゲンを使わないポリカーボネート樹脂技術、当社が世界の50 ~60%のシェアを握るまでになったリチウムイオン電池セパレータの技術、プロパン法アクリロニトリル製造技術など触媒技術、さらに、磁気センサーのホール素子製品群や最近注目を集めている電子コンパスなどの電子部品、医療用膜セパレータ製品群などです。

バブル崩壊以降、多くの企業と同様に旭化成も「選択と集中」にかじを切って、2003 年には分社化を行いました。この結果、スピード経営や自主自立経営の徹底などにより企業体質は強化されました。ただ、遠心力が働き、中期的な視点による研究開発がやや希薄となってきていた感は否めません。

新しい事業を創出する

一昨年の金融危機に端を発した世界同時不況の中で、新たな事業を生み出す研究開発への期待が高まりました。同時に経済のグローバル化は進み、開発競争は激しさを増しています。自社技術を中心として企業が単独で競争を勝ち抜くのは、従前にも増して難しい時代に突入しました。特に高付加価値型商品やシステム化した商品を世の中に提供していくためには、研究開発の初期段階から標準化等を念頭に置き、社外との積極的な連携が必]須になってきます。例えば、具体的な用途開発や実証実験を異業種、異文化の企業と進めるとか、コンソーシアムでの活動も視野に入れていかなければなりません。

キーワードはまさしく、グリーン・イノベーションとライフ・イノベーションです。この大きな方向に向けて日本企業が、オールジャパンで課題解決を行う日本型の協業、共創が鍵になると思われます。

旭化成は約100 億円を投入して静岡県富士市に「新事業開発棟」を建設し、昨年9月からその運用を始めています。ここには、上流下流を含めた広範囲な企業、大学、公的研究機関などとのコラボレーションを進める実験スペースを備えています。異分野、異業種と融合して新たな研究開発を進め、さらに顧客との距離を短くして次世代製品の上市の加速化を狙っています。

大学・研究機関への期待

欧米のベンチャー企業は、自らの技術のプレゼンテーションが巧みです。企業が求める課題解決型の提案に組み替えて、その技術の価値を明示します。例えば、新たな商品価値を持った具体的な製品設計に落とし込むとか、新たな市場創造に挑戦するといった形に変換する能力です。

わが国の大学・公的研究機関と産業界の関係をみると、大学などの優れた研究は欧米と比して遜色(そんしょく)がないにもかかわらず、企業からのアプローチがいま一歩なのは、欧米のようなシーズとニーズをつなぐ企画力の差に原因があるのではないでしょうか。

日本の「学」の成果物を企業の事業に生かすには、産業界と大学のそれぞれが置かれている状況、立場、文化の差異を相互に正しく理解した上で、産と学の橋渡しを行う目利き人材やコーディネータの存在が重要でしょう。このためのプログラムは科学技術振興機構(JST)の事業にも含まれており、魂を入れて主体的に活動するキーマンの存在と活躍に大いに期待しています。

相互に理解しあう

産と学それぞれの文化風土、技術領域や、今までの経験、目指すべき方向が異なっている場合、同じ言葉を使っていても意思疎通がうまくいかず、これが連携の障壁になることも多いのではないでしょうか。

特許などの無形資産への理解は大学と産業界とでは相当異なると思います。産業界は、知財を極めて実務的にとらえます。ビジネスにおいては、知的財産権は不安定なもので、権利を行使するかどうかは全体状況から判断します。特許は法律文書であり、全く傷のないものはまずありません。業界によっても特許の位置付けは大きく異なります。基本特許だけでは事業化できないこともあり、事業戦略上、知財戦略が極めて重要だと認識しています。

目指すべき産学連携の姿

日本版の産学連携、技術移転を進めるためには、相互に立場の違いを理解した上で、単なる情報や出来上がった技術の移転だけでなく、息の長い、かつ積極的な「具体的な経験の交流」や「人的交流」が必要となるのではないでしょうか。目先の目的実現のための、契約に基づく短期的な連携だけでなく、さらに一歩踏み込んで将来の夢を共有して、性善説に基づく信頼関係の上に、長期的なオールジャパンの産学連携の姿を追求すべきではないでしょうか。