2010年9月号
単発記事
人口500人の和歌山県北山村
幻の柑橘「じゃばら」で地域産業創出

柳原 幸則 Profile
(やなぎはら・ゆきのり)

和歌山県 北山村 観光産業課長



「じゃばら」は昔から和歌山県北山村に自生し、同村にしかない品種の柑橘(かんきつ)である。同村は、インターネットを活用し、その果実を加工した果汁、ジャム類、飲料などを全国に販売している。人口はわずか500 人。地域の自立に取り組んでいる同村からのレポートである。

和歌山県北山村は紀伊半島の東南部に位置し、和歌山県でありながら三重県と奈良県に囲まれ、和歌山県のどの市町村とも隣接しない日本唯一の飛び地の村である。面積(48.21 平方キロメートル)の97%を山林が占めている。人口は約500 人、その約45%が高齢者である。平成の大合併により和歌山県でたった1 つの村となったが、村の目玉である観光産業「北山川観光筏下り」、特産品「じゃばら」加工品を軸に、村民一丸となって魅力ある地域の自立と再生に取り組んでいる。

北山村にしかない新品種
写真1

写真1 じゃばらの木(上)と果実(下)

じゃばら(写真1)は、ユズやカボスのような酸っぱい柑橘系の果実である。古来より北山村に自生していたが、近年、全国でも当村にしかない新品種ということが判明し、品種登録された。じゃばらの名前は、「邪(気)を払う」に由来し、村では昔から天然食酢として珍重され、正月料理には欠かすことのできない縁起物であった。

村内にある7ヘクタールの農園に約6,000 本が栽培されており、村営のじゃばら加工場で果汁やドリンク、ジャムなどを生産している。ピーク時である1 月から3 月には、13 名を超えるスタッフが働いている。

昭和50 年代から「北山村の過疎化対策」として、じゃばら事業に取り組んできたが、知名度が低く、販路が思うように拡張できなかった。雇用確保を大義名分にしていたが毎年大きな赤字を出すお荷物産業だった。しかし、IT 時代の到来により大きな転機を迎え、過疎へき地や飛び地という地理的ハンディを逆手に取り、じゃばらの販売をインターネットに賭けてみようということになった。

平成13 年1 月、以前からうわさのあった「じゃばらの花粉症に対する効用」をネット上のモニターで調査したところ、約半数から実際に効果があったとの結果が報告された。この検証結果がメディアで取り上げられ、一気に全国的なヒット商品となった。

県工業技術センター、岐阜大学が相次いで調査研究

平成15 年に開催された日本食品科学工学会において、和歌山県工業技術センターが、花粉などのアレルギーの原因となる脱顆粒(だつかりゅう)抑制作用について発表し、科学的な研究結果が明らかになった。

さらに平成20 年9 月、「じゃばら」の花粉症に対する効果についての調査・研究結果が岐阜大学医学部から発表された。その調査・研究では、花粉症の症状だけでなく、それに伴う集中力・判断力の低下、イライラ感、会話への支障といった生活に与える影響(QOL)が、じゃばら果汁飲用によってどの程度改善されるかについても検討が行われた。

岐阜大学の調査は次のような内容である。

  ・ 対象者・・・29 歳から59 歳の花粉症患者15 名
  ・ 飲用する物・・・北山村のじゃばら果汁
  ・ 飲用量・期間・・・毎日5ml を朝夕2 回、10ml/ 日、2週間以上連続して飲用

この条件で、飲用の前と後の症状・QOL について回答してもらった。

それを集計したところ、花粉症の症状がすべて改善した、というものだった。さらにQOL についても31 項目中21 項目について改善された、という結果になった。

◆2億円を超える主力産業

じゃばら製品は、果汁、飲料、飴(あめ)、ジャム類、ぽん酢など約10 種。「じゃばら村センターわいわい市場店」が通信販売などの窓口となり、詰め合わせのギフト商品もそろえている。「北山じゃばら」のブランド化を進めている。

上記のような行政機関、大学の調査・研究の成果も追い風となり、平成13 年当時2,500 万円前後だったじゃばら関係の年間売り上げも現在では2 億円を超え、村の主力産業に成長している。

このことは村のじゃばら栽培農家を増加させ雇用対策や農業後継者育成にもつながり、村に新たな活力が生まれている。村としては、今後は化粧品など新商品開発に力を入れるだけでなく、「じゃばら村」としてイメージ戦略を進めるなど、じゃばら活用のさらなる事業展開を図っていく。

●北山川観光筏下り

紀伊山地で伐採された材木を、急流である北山川を利用し新宮まで運ぶ筏流し。この筏流しには600 年以上の歴史があるといわれ、かつて北山村は筏師の村として隆盛を誇っていた。子供の憧れの職業だった北山村の筏師の櫂(かい)さばき(運転技術)は非常に高度で、朝鮮半島にまでその技術を請われて行ったと伝えられている。

その筏流しもダムの建設、道路整備により昭和40 年に入って姿を消したが、昭和54 年、北山川観光筏下りとして復活。毎年多くの観光客が村を訪れるようになった。櫂を操り、筏を操船する技術は、全国でも北山村にしか残っていないといわれ、北山村でもその伝統技術の保全に力を入れている。現在では伝統文化の継承と地域振興の担い手でもある10 名の若手筏師が中心となって技術を受け継ぎ、観光筏を運航している。