2010年9月号
連載1  - 会社を辞めたら社長になろう
第2回
三鷹市のSOHO起業例(1)
身の丈にあった事業計画、初年度から黒字を目指す
顔写真

前田 隆正 Profile
(まえだ・たかまさ)

SOHO CITY みたか推進協議会
会長


定年退職したビジネスパーソンらの、サービス業を中心としたSOHO(Small OfficeHome Office) 起業を支援している東京都三鷹市の取り組みを紹介する連載の2 回目。SOHO CITY みたか推進協議会の前田隆正会長は、資金のいらない事業計画をつくり、初年度から黒字にすることを目指すべきと、指摘している。

身の丈にあった事業計画、お金をかけない起業

なけなしの自己資金で自分のアイデアを生かした映像システムを外注してつくったものの、さっぱり売れず、身動きが取れないといった話はよくある。自己資金でも、赤字になればさらに資金を投入することになるので限りがない。借金をした場合、営業利益の中から返済金を捻出(ねんしゅつ)しなければならないし、無理を重ねて利益を大きくする必要が出てくる。

もう60 歳となれば、蓄積してきたお金は自分の老後のために残して置きたいのは当然。ですから、起業のために自分のお金はなるべく使わないこと。事業を始めようという人は、資金の要らない事業計画をつくることだ。三鷹市の場合、SOHO のほぼ100%がサービス業である。設計だけをして、製造はアウトソーシングするものづくり業、ネットなどによる販売業、教育・セミナー業、子育て・医療・福祉事業、食・環境・バイオ事業、ソフトウエア業、まちづくりなどのコンサルタント業、映像制作業、編集業、執筆業、翻訳業、芸術・デザイン業、不動産業など。これらの事業の起業には、さしてお金は必要ない。

身の丈にあった、資本をかけない事業計画をつくり、会社の設立・会計・意匠商標の申請などできる限り自分自身でこなし、初年度から黒字にすることが重要だ。

メディカルシステム・ナガイ 代表 永井実重氏

永井さんはティアック、センチュリーメディカル、ミネベア、ティアックと転職をして、1994 年ティアックを55 歳で早期退職、同年、一貫して従事してきた医療分野の医用画像のファイリングのコンサルタント業を八王子の自宅で個人事業として始めた。1998 年12 月、三鷹市パイロットオフィス開設と同時に入居、現在、開設当初から12 年間同オフィスに入居しているのは同社だけになった。

顧客は、電子カルテを使っている開業医の先生である。そこにはパソコンがある。そこで、永井さんは、超音波・内視鏡・眼底・CT・MRI などの「画像データをファイリングしませんか」と営業をかけている。そうすれば先生は、患者さんに簡単な操作で患者さんの画像データを瞬時に写し出して説明をすることができる。開業医の先生が「では、お願いしましょうか」となれば、永井さんが設計図を書き、知り合いのエンジニアリング会社に発注する。すると、そのエンジニアリング会社が設計図通りの機器を購入して、据え付け調整をする。それを先生と永井さんが注文通りできているか否かをよく見て確かめる。OK であれば、先生はエンジンニアリング会社に代金を支払う。エンジニアリング会社は先生からの入金を待って、永井さんへ設計料を支払う。

「永井さんはどこで最新式の機器とか新技術を勉強されているのですか」と質問したところ、永井さんは医学会へ出席し勉強しているとのこと。いつも、キャスター付きのカバンで全国を移動されている。ラスベガス、パリ等の医学会にも行かれるのだそうだ。

業績は順調に伸びている。入居して12 年であるから、その間だけでも1,000 万円/ 年以上の売り上げが増加していると思われる。

株式会社イーエス技研 代表取締役 古谷隆志氏

古谷さんは横河電機の子会社横河総合研究所で、環境と安全規制適合のコンサルティングビジネスを立ち上げ展開してきた。しかし、2003 年3 月、同研究所がこの規格認証ビジネスをやめることになり、10 年ぶりに出向先の同研究所から本社に戻ることになった。しかし、その10 年間に築いたノウハウ、人脈、試験機材、お客さまを失うのはもったいないと感じた。そこで、規格認証ビジネスを自ら起業することにしたのである。

2003 年10 月、資本金500 万円で有限会社イーエス技研を設立、2004年3 月、横河電機を退職。同年4 月、三鷹市SOHO パイロットオフィスに事務所を開設し正式に営業を開始、2005 年10 月には、資本金1,000 万円の株式会社に組織変更した。働くことに喜びを感じ、働くことで自分を成長させる。そんなことに生きがいを見いだす人たちが、生涯働ける環境をつくることを目的とした会社である。事業は当初、 [1]以前からの得意先の認証業務 [2]協業会社からの認証業務 [3]横河電機からの請負業務 [4]中小企業支援団体経由の業務相談であったが、[2]~[4]は減少し、得意先からの紹介による認証業務が増えている。同じパイロットオフィス内の事務代行会社「有限会社そーほっと」には、会社設立当初から事務処理を一手に引き受けてもらっている。社員が増えたのに伴い、2008 年6 月には三鷹産業プラザ3 階へ移転した。現在スタッフは14 名、売り上げは年間7,000 万円程度。当面、年間売上1 億円を目指している。

株式会社インシンクス 代表取締役 奥出 實氏

奥出さんは、定年10 年前から5 年前ごろまで、これから自分はどう生きるのか。自分に何ができるのか真剣に考えた。その結果、[1]お金をもらう [2]好きなことをする [3]人の役に立つ、を目指し、起業したいと考えた。自分の経験とスキルの棚卸しを行い、定年前には身支度と準備として家族とよく相談をし、自分史をまとめた名刺をつくった。老後の住まいにはボランティア活動の里山と地域につながって暮らす都会の2 つに拠点を持つこととし、一方で会社組織思考からの脱皮を図った。

55 歳の役職定年で給与が8% ダウンした。翌年もまた7% ダウンした。これではたまらないと、2005 年、三鷹ネットワーク大学の「SOHO ベンチャーカレッジ」に通い、起業の実務を勉強した。当時、ちょうど勤務先の会社で業務の再編があり、OCR(コンピュータによる文字認識)の帳票設計の仕事を奥出さんが引き継ぐことになった。これを機会に、この業務で独立したいと考え、定年3 カ月前であったが自主退職し、2005 年9 月個人事業「インシンク」を設立、勤めていた会社の代表取締役と事業請負契約を結んだ。

2009 年6 月、株式会社インシンクスを設立登記、代表取締役となった。このようにして、OCR の文字認識、イメージ処理、画像管理から音声認識システムにわたり最新の技術に関与した仕事を続けている。奥出さんは「元の会社で得ていた最高額が当面の自分の収入の目標であるが、多くの社内団塊の後輩が、独立し次々に自分を乗り越えていくことを期待している」と語っている。

スモールウェーブ 代表 中川原一彦氏

以前勤めていた会社では、コンピュータ用磁気テープ装置、光ドライブ装置、制御装置などのハード装置の開発に従事していた。最後は開発プロジェクトを統括する業務が中心となり、自ら設計する楽しみが減っていた。そこで、2003 年3 月、55 歳で早期退社を選んだ。

2003 年、第1 期SOHO ベンチャーカレッジを卒業。在学中の同年6 月に個人事業「スモールウェーブ」を設立。「これからはソフトの時代になる」ことを展望し、自宅の子供部屋でホームページ事業を立ち上げた。必死にホームページの制作について勉強をされたが、この勉強は半端なものではなかったと想像できる。すなわち、中川原さんが制作したホームページは初年度、グーグル、ヤフーの検索エンジンでトップ3 に入り、次年度はトップに位置するようになった。現在、中川原さんには「SOHO ベンチャーカレッジ」の「ホームページ」の講師をお願いしている。

“小さな波” という名前が示すように気軽に始めた事業だったが、長女がウェブデザインを手伝うと、会社を辞めて子供部屋にやってくる。すると、そのお婿さんが営業をやると会社を辞めて参加。次には奥さんが会計と、総勢4 名となった。奥さんが会計をやってくださるので大変安心できるとのことである。今では、次女も手伝って、6 畳の子供部屋が狭くなっているとのこと。

1 つ1 つ丁寧な仕事していくうちに信頼を獲得し、お客さまが次のお客さまを紹介して下さるという好循環を生んでいる。自分のできることを生かし、少しでも皆さんのお役に立ちたい、地域にも貢献したいという気持ちで、生涯現役を目指しておられる。


次号は、会社を中途で退職し、起業したSOHO 4 社をご紹介したい。