2010年10月号
単発記事
万能細胞による新しいバイオ産業が始まった
―わが国の課題と成功するための条件とは―
顔写真

横山 周史 Profile
(よこやま・ちかふみ)

株式会社リプロセル
代表取締役社長


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仙石 慎太郎 Profile
(せんごく・しんたろう)

京都大学 物質―細胞統合システム拠点
准教授・イノベーションマネジメントグループ
代表

バイオ産業は、IT、ナノと並び次世代産業の柱の1つとされているものの、日本ではその将来像についてネガティブな見方をする人が多い。求められる新たなビジネスモデルを、「標準化」「オープンイノベーション」「金融システム」の視点から考察する。

株式会社リプロセルは、胚性幹細胞(ES細胞)と誘導多能性幹細胞(iPS細胞)をビジネスの基盤とする日本で唯一のバイオベンチャーである。設立は2003年、京都大学再生医科学研究所の中辻憲夫教授・所長(当時)と、東京大学医科学研究所の中内啓光教授の技術シーズを基盤としている。現在の主力製品は、ヒトES/iPS細胞専用の培養液である。

図1

図1 ヒトiPS細胞

現在は、京都大学物質-細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス)、同iPS細胞研究所(CiRA=サイラ)とも連携を深めている。iCeMSは、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPIプログラム)の1つで、「メゾ制御」と「幹細胞」をキーワードとして、京都大学が誇る物質科学と細胞科学の両分野を統合した独創的発展を目指している。CiRAは、本年4月にiCeMSより独立した新しい研究所で、iPS細胞の基礎研究から前臨床研究、臨床研究をシームレスに推進していくことを目指している。

この連携体制の1つの成果として、2009年には世界で初めてヒトiPS細胞(図1)を用いた創薬支援事業を開始した。今後も、ES/iPS細胞を中心とした幹細胞領域で新しいビジネスを展開し、世界を代表する幹細胞企業になることを目指している。

わが国の課題

幹細胞ビジネスを進めていくなか、日々、多くの方々と意見交換し、将来のバイオ産業像について語る機会も多い。ただ残念ながら、ポジティブな将来像を持った方は少なく、ネガティブな見方、危機感を抱いている方が圧倒的に多い。

21世紀の次世代産業として、IT、バイオ、ナノの3分野が強調されて久しい。最近では、グリーン・イノベーションとライフ・イノベーションが推進されているように、バイオやライフサイエンスは次世代産業の有力候補である。それにもかかわらず、多くの方がネガティブな印象を持っているのはなぜであろうか。本稿において普段感じている問題点を整理することで、日本のバイオ産業の将来に少しでも役立てて欲しいと願っている。

まず、そもそも直感的に、今後日本でアムジェンやジェネンテックと肩を並べる世界的なバイオテック企業が日本から発進するというイメージを持てる方が、果たしてどれぐらいいるだろうか。また、バイオテック企業の経営者は、自分の会社がそのように成長すると思えるだろうか。恐らく、大方の答えはノーであろう。両社とも、当時発明されたばかりの遺伝子組み換え技術を活用し、いわゆるバイオ医薬品の開発に成功、世界的な企業に成長した。しかし、日本の製薬企業の多くはごく最近に至るまでバイオ医薬品には無頓着であり、彼我の差は大きく開いてしまっている。このように、新産業を興すためには画期的な製品や新しいビジネスモデルが求められ、それをつくり出せるかが大きく勝敗を分けている。

新たなビジネスモデルの立案に当たっては、技術、マーケティング、財務、人材、知財、規制などさまざまな要素が複雑に絡んでくるため、周到な設計が求められる。それでは、次世代バイオ企業のビジネスモデルは何だろうか?

成功するための条件

以下は、われわれが身を置いているiPS細胞ビジネスを例に、その成否の鍵を握る「標準化(スタンダード化)」「オープンイノベーション」「金融システム」について、論点を整理する。

標準化(スタンダード化)

一般的にバイオベンチャーというと、創薬ビジネスを思い浮かべる人が多い。創薬ビジネスを端的にいえば、株式発行により資金を調達し、研究開発を進め、特許を取得し、製薬企業にライセンス・アウトするビジネスモデルである。その場合、バイオベンチャーにとっては、ライセンスに伴うマイルストーン収入やロイヤリティ収入が主な事業収益となる。

図2

図2 ヒトES/iPS細胞技術プラットフォームとビジネス

iPS細胞ビジネスは、この創薬ビジネスとは大きく異なることを十分に認識する必要がある。違いの1つとして、単一の技術から有機的に複数のアプリケーションがつくり出せる点がある。iPS細胞のアプリケーションは再生医療だけでなく、研究試薬、創薬支援、テーラーメイド医療、ハイブリッド人工臓器など、多くのビジネスへの展開を期待することができる。もう1つの違いは、医薬品は基本的に単一特許でも成り立つ一方、これらiPS細胞ビジネスは、複数の技術やノウハウの組み合わせ・擦り合わせで構成されている点である。つまり、図2に示すように、iPS細胞というプラットフォーム技術の上に、複数のアプリケーションが乗り、これを多岐にわたる技術やノウハウが支えているという構図である。

このような構図のもとでは、特許戦略と同等かあるいはそれ以上に、標準化(スタンダード化)戦略が重要となってくる。現在、世界には各有力グループがそれぞれ独自手法で作った複数のiPS細胞が存在しているが、現時点ではどれも標準と呼べる段階には至っていない。というのも、世界中のユーザーにいち早く自己のグループのiPS細胞を使ってもらい、その下にさまざまなアプリケーションが育つことによって、初めてそのグループのiPS細胞が技術標準として認められるからである。その点、米国のウィスコンシン大学を中心とするグループは、早くから標準化戦略を重要視しており、彼らのiPS細胞を世界中に配布している。

繰り返すが、製薬ビジネスは専有化モデルであり、医薬品の特許は1社あるいは極めて少数の製薬企業が使用し製品化するのが通例である。この製薬ビジネスの固定概念をiPS細胞ビジネスに持ち込むと、あるべき戦略と真逆の方向に走ってしまう。新規技術を特許化するだけでなく、ノウハウの開発や標準化を平行して進めることが重要である。

オープンイノベーション
図3

図3 ヒトiPS細胞を用いた心筋毒性事業と要素技術

前述の通り、iPS細胞ビジネスの特徴は、複数の技術の組み合わせ・擦り合わせにより多数のアプリケーションが生まれる点である。例えば、リプロセルでは、世界で初めてiPS細胞を用いた心筋毒性ビジネス「QTempo」を立ち上げたが、これには、細胞培養、デバイス、機器等のさまざまな技術要素を組み合わせる必要があった(図3)。リプロセルは細胞技術に特化した会社であるため、デバイス、機器に関しては他社との協力なしにはできない。さまざまな企業や産業が連携して1つの画期的な製品が誕生し、新産業を形成していく過程は、日本が得意としてきた「ものづくり」の世界そのものである。最近、「iPS細胞や再生医療の分野を手掛けたいが、自分の会社が何をやったら良いか分かならい」という声をよく聞く。この分野はとかく「細胞屋」だけが注目されるが、実際は、機器、デバイス、化学、試薬などさまざまな産業の協力により成り立つビジネスである。そこでは、自動車や電機機器よりもはるかに幅広い産業分野のダイナミックな連携が求められる。すなわち、日本型ものづくりを一歩超えた、オープンイノベーションの試金石なのである。

日本には多くの優れた技術基盤はあるものの、それを有機的に結び付けることが苦手なように思う。先日、デンマーク・スウェーデン国境地帯のバイオクラスターMedicon Valleyや、スコットランドBioQuaterを訪問したが、問い合わせの窓口が一本化され明確になっていた。また、官公庁、大学・研究機関、大企業、ベンチャー企業の垣根を越えた協力・紹介体制が実現しており、産学官間の連携も円滑である。果たして、日本でそのような機能を持つバイオクラスターはあるだろうか。1つの大学だけを取ってみても、担当部門が複数に分かれており、ましてや、企業を紹介してくれることはない。「和をもって貴しとなす」というのは、今や海外の方がよく当てはまるように見える。日本は技術や産業のすそ野が広いだけに、連携下手のために宝の持ち腐れにならないようにしないといけない。

金融システム

3つめは、金融の問題である。ビジネスモデルと金融システムは切り離せない。創薬ビジネスも含めバイオビジネスは、通常ある程度長期間の研究開発が求められる。細胞分裂の速度やマウスの成育を速くすることはできないので、開発時間が長いのは不可避である。そこで、この研究開発費用をどのように調達するかが課題になる。

従来の日本型システムでは、銀行融資による資金調達が一般的であるが、リスクの高い中長期の開発資金にはなじまない。中小企業では個人保証を求められることも多いが、個人が無限責任を負うような性質のものではない。そうすると、ハイリスク・ハイリターン型を志向する株式投資が重要になってくる。米国ではベンチャーキャピタルが成熟しており、リスクマネーがベンチャー企業に流れるシステムができているが、日本ではリスクマネーが極めて少ない。2007年の実績では、バイオへの投資総額は米国のわずか50分の1となっている。

事実、米国では2008年以降、iPS細胞技術を扱うベンチャー企業が数社設立され、それぞれが数十億円規模の大型資金を集めて事業を加速している。この金融システムの違いは日本のベンチャー企業にとって致命的であり、もはや、精神論や根性論が通じるレベルではない。研究開発に要する期間とコストは万国共通であるため、研究開発費があらゆるルートからベンチャー企業に流れる仕組みは不可欠であり、早急に検討されるべきである。

政府がバイオ産業を重要と考えるならば、公的助成をより強化するのも1つの選択肢である。バイオ・医療産業が国民全体の健康と福祉に貢献するという前提に立てば、最終的には国民が受益者となり、つじつまは合うはずである。実際、英国、シンガポールなどでは、政府がバイオを次世代産業と明確に位置付け、大規模な投資を行っている。

おわりに

以上、「標準化(スタンダード化)」「オープンイノベーション」「金融システム」の3つを見てきたが、日本の現状は、残念ながら諸外国に比べていずれも遅れていると言わざるを得ない。科学技術の進歩に比べて、それを産業化するための基盤整備が手薄となっている現状、ここに多くの関係者がネガティブな印象を持っている理由があるように思う。ただ、幸い、現状は致命的な状況には至っておらず、速やかな努力によりいずれも解決可能である。日本のものづくり力の発揮と国際展開を通じて、iPS細胞に根差す新産業を育成する土壌は、まだ日本に十分にあると信じたい。

最後になるが、一番重要なのは、やはり国民や患者の目線である。最終的な受益者である国民や患者を無視した産業は成り立たない。ビジネスモデルに関する議論は重要ではあるが、安易な戦術論に走るべきではない。真に、国民や患者に恩恵をもたらす技術やサービスを提供できるかが最も重要な判断基準であり、まずは、関係者がその共通認識を持つことからすべては始まる。