2011年1月号
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記事1,000本を超えた「産学官連携ジャーナル」の歩み

月刊「産学官連携ジャーナル」は、おかげさまで7年目に入りました。2005年1月号の創刊以来、各号に掲載してきた記事本数は今月号(2011年1月号)で1,000本を突破し、1,011本になりました*1。この間、技術移転、大学の「知」のさまざまな分野での活用、さらに科学技術をテコに地域を、日本を元気にする取り組みなどについて、多角的に情報発信して参りました。2010年夏にはホームページを一新し、過去の記事の検索機能を大幅に強化しました。

ここでは、2008~2010年の3年間から、話題になった記事、示唆に富む文章を選びました。

なお、2007年12月号の記事「産学官連携ジャーナル3年間を振り返る 記事に見る“連携人”の言葉」には、創刊号から3年分を収めています。合わせてご笑覧くだされば幸いです。(編集長:登坂和洋)


イノベーションを学ぶ


イノベーションを日常の中で生み出すことは容易なことではない。何よりも自由で多様な発想とこれらを融合させる環境づくりが大切である。特に固定化された組織ではイノベーションを生み出すことは難しい。常に組織の変革を行い、人材を流動化させていくことが必要である。米国のシリコンバレーにおいて盛んに新しいビジネスが起こるのは、人種、国境を越えた有能な人材が常に流入し、切磋琢磨(せっさたくま)を伴ったコミュニケーションの中から新しいイノベーションが生まれているからに他ならない。 (2008年1月号、小島順彦氏、巻頭言・新産業イノベーションを目指して)

地域におけるイノベーション創出のステークホルダーすべてが、有機的に参画できるRIS(地域イノベーションシステム)の構築が急務である。これまであまり地域へ目を向けてこなかった大学の場合、近年の産学官連携政策の展開により、地域貢献をミッションに掲げるようになったものの、地域産業界とのネットワークは脆弱である。そのような地域において、地域中小・ベンチャー企業等のファーストコンタクト先は、地域で研究開発や技術指導を行っている公設試が望ましく、公設試を核としたRISを提案する。 (2008年6月号、林聖子氏、特集『科学で地域を元気にする』公設試を核とした地域イノベーションシステムの提案)

クリエイティビティーとイノベーションは違います。クリエイティビティーというのは誰にでもあるんでしょうけれども、イノベーションはそういうわけにはいかない。社会的な修練が必要です。イノベーションというのは文化なり何なりの集合体の上に乗っかってできること。やる人々の修練だけでなく、それを組織する人がそれなりの考え方と実行力を持ってないとできないですね。 (2009年6月号、林主税氏、特集『産学官連携の新たな挑戦』インタビュー・修練を積んだ人がイノベーションを起こす)

革新研究の推進に当たっては、将来の社会の動き、産業構造を構想した上で、真に重要な課題をテーマ化することが必要である。そのためには、産学官の、異なる専門性を有した第一線の研究者が、多角的な議論を行い、本質的な課題を共有していく「場」を構成することが重要となる。産業界には、このような「場」の形成を主導するとともに、長期的視野に基づく展望を描き、重要課題を広く提起していく責務がある。日本経済団体連合会が提言した、産業界主導による課題解決指向の産学官協働プラットフォームは、革新研究推進の場と位置付けられ、その具現化が強く求められている。 (2009年6月号、吉田二朗氏、特集『産学官連携の新たな挑戦』オープン・イノベーションと産業界が期待する基礎研究)



原点は人


大学発ベンチャーとして初の米国でのⅢ相試験にたどり着けたのは、人材が一番大きな理由だと考えている。会社設立後、私はすぐに渡米して米国の開発拠点、およびコアとなる人材の獲得に乗り出した。その際に出会ったのが、ミッチェル・グラス氏である。彼はもともと、呼吸器科の医師であり、グローバル製薬企業での開発経験やバイオベンチャーを米国のNASDAQ上場まで導いた経験を持っていた。すぐに彼を社長として米国子会社を設立し、そこに米国で開発を行っていけるだけの体制を整えた。 (2008年1月号、鍵本忠尚氏、連載『九州大学発創薬ベンチャーが世界を目指す(前編)』米国で最終の臨床試験〔第Ⅲ相〕実施中)

大学時代の学習熱心度は、卒業時の知識・能力獲得程度に影響を与える。その知識・能力の量が、現在の知識・能力獲得程度につながり、ひいては現在の地位も規定する。直接的ではないが、こうした間接的な効果が大学時代の学習にはある。大学時代、熱心に学習していた者ほど、社会に出てから活躍する可能性が高いということである。 (2008年4月号、濱中淳子氏、連載『新しい技術者像を探る』工学系卒業生のキャリア形成(上)大学時代の過ごし方と技術者の地位)

明治維新で東京遷都となった時、京都の人々は何をしたか。現在の言葉で言うと、教育と科学技術による産業振興だ。1869(明治2)年、町衆が私財を投じて、上京、下京の番組(学区)ごとに小学校を創設した。この番組小学校は全部で64。国が学制を定める3年前のことである。「東京に負けないぞ」という反骨精神を教育に向けたのだ。また、舎密局(せいみきょく)を大阪から招致し、1870(明治3)年12月に木屋町二条界隈にその仮局が開局している。 (2009年1月号、特集『一極集中を打ち破れ 「愛」と「技術」が地域を救う』京都のベンチャー精神は輝き続けるか)

日本の技術者は国際標準のエンジニアと同等である、と主張するには、その能力についても同等性の裏付けがなければならない。エンジニアに求められるcomplexな課題に対する対処能力、換言すれば知識応用力、問題分析力、デザイン力、評価力、公益・法規・環境・倫理への責任力、チーム力、コミュニケーション力、プロジェクトマネージ力、継続学習力のすべてにわたって、世界標準に欠けることがあってはならない。 (2009年3月号、大橋秀雄氏、連載『新しい技術者像を探る』日本の技術者、世界のエンジニア)

社会の成熟化に伴い、科学や技術はブラックボックス化し、わたしたちは便利さと引き換えに、科学や技術のプロセスを五感で感じる機会を失ってきた。しかしながら、科学や技術のもたらす結果を一方的に享受するだけでは、科学離れ問題や科学リテラシー不足などの社会的リスクを回避することはできない。

ならば、ブラックボックスを少しだけ開けてみて、科学や技術のプロセスを五感で感じることができる場を、この地域につくることはできないだろうか。 (2009年10月号、大草芳江氏、科学と地域社会つなぐ社会起業家 —特定非営利活動法人 natural science—)



ベンチャーの法則


日本では「産学連携」という言葉はベンチャーを入れ忘れることが多いので私は「産ベン学連携」という言葉を提唱している。大学の技術でベンチャーが生み出した商品化に近づく応用技術や試作商品を、中堅企業や大企業がベンチャー企業と販売連携、技術提携、資金供給、M&A等でWin-Win関係を築いて行くのが現実的である。 (2008年3月号、前田昇氏、海外トレンド・ベンチャーが牽引する海外のクラスター 「産学連携」から「産ベン学連携」へ)

土井氏のベンチャー経営論のポイントの1つは自社が得意としている分野に集中すること。技術のシーズが医薬品になるまでには多くの工程を経る必要があるが、新規性を求めて工程を1つずつ上がって行く方法はとらない。「勝てる土俵に特化する」、裏返すと「徹底的に捨てる戦略」である。 (2009年1月号、特集『一極集中を打ち破れ 「愛」と「技術」が地域を救う』札幌・イーベックの衝撃 バイオベンチャー初の大型ライセンスはこうして生まれた)

従ってハイテク・ベンチャー企業を成功に導くには、イノベーターを越えて、いかにマジョリティを取り込むかを工夫する必要がある。しかし、多くのベンチャー企業にとって、販売対象をイノベーターからマジョリティに移行させるのは非常に難しい。なぜなら、ベンチャー企業の多くは、技術に精通しているイノベーターに対して新製品を売り込むことは得意であるが、マジョリティに販売を拡大しようとすると問題にぶつかってしまうからである。マーケティング・コンサルタントのジェフリー・ムーアは、このイノベーターからマジョリティへの移行を「キャズムを乗り越える」と表現している。(略)ここで「キャズム」とは、イノベーターからマジョリティへの移行を阻む「深い裂け目」を意味している。 (2009年2月号、大滝精一氏、特集『独創技術 事業化への苦闘と陶酔』キャズムを乗り越える)



海外からの波


競争的研究資金のマネジメントに携わるこの職種は正しくはUniversity Research Administrator(URA、もしくはRA と略す。本稿では以下RA とする)という。米国の大学等では専門職として確立している。RA が担う業務は次の2つに区分される。
1.競争的研究資金の応募に関する業務(Pre-Award Administration)
2.競争的研究資金採択後の業務(Post-Award Administration)
(2008年5月号、高橋真木子氏、連載『リサーチアドミニストレーターの活動に学ぶ(前編)』6,500人の全米組織は50年の歴史)

いま、世界の科学研究費がどっちの方向に変わりつつあるのか、はっきり見えると思う。それは従来の「研究テーマ」にではなく、「研究者本人の能力とそのモチーフ(主題)」へ、なのだ。 (2010年9月号、松尾義之氏、研究助成、世界の潮流は「テーマ」から「人」へ 欧米が日本を追いかけ始めた)

シンポジウムの内容に触発され、考え至ったことは、21世紀に入っての産学連携の取り組みの最前線では、大きく2つの潮流が見られるということである。1つは、大学が「アントレプレヌーリアル・ユニバーシティ(起業家精神を持った大学)」へと自己変革しようとしていることである。もう1つは、地域において「新世紀都市」とも言われるポスト工業化時代の新たな都市集積のハブとしてのリサーチパーク形成の志向が見られ、その中心的役割を担う大学のプレゼンスが、急速に高まっていることである。 (2009年11月号、田柳恵美子氏、21世紀の大学像への模索 欧州の産学連携に見る2 つの大きな潮流)



日本を元気に


奄美群島のほぼ中央、人口約2万7,000人の徳之島(鹿児島県徳之島町、伊仙町、天城町)。県都・鹿児島市から約460キロ離れたこの島で2002年、茶の栽培が始まった。農作物はサトウキビ中心で、他の換金作物を探していた。「手掛けてみないか」という県や県経済連の呼び掛けに「われわれでもできるのか」と皆が喜んだ。(略)なぜ、徳之島で初めて茶が植えられるようになったのか。糸を手繰っていくと茶に関する最先端の研究の成果に行き着く。「科学」の恩恵である。 (2008年6月号、特集『科学で地域を元気にする』茶の抗アレルギー作用を利用した食品開発 機能性茶の「べにふうき」栽培が広がる)

日本は課題先進国であり、温暖化のみならず多くの困難を抱えている。これらを同時に解決するために、所得倍増計画、日本列島改造論に代わる新たな国づくりの方向性を示すビジョンをつくる必要がある。しかも、それは、政府が産業を興し国民の暮らしを良くするという従来のものではなく、地域で暮らしを良くすることで新たな産業を興すという先進国型モデルでなければならない。私は、このように地域ごとに快適な暮らしを実現しようとする社会をプラチナ社会と呼んでいる。プラチナとは次世代のキーワードである高齢者、生態系、低炭素の3つの輝きを表している。 (2010年1月号、小宮山宏氏、巻頭言・「プラチナ構想ネットワーク」の推進)

日本は以前、国際標準化という面ではアジアで唯一、欧米と対峙(たいじ)してきたが、近年は韓国、中国の躍進により、5 極化の様相を呈してきている。しかし、本来はアジアが将来的にまとまる方向が望ましい。なぜなら国際標準化組織においては通常、1カ国だけの意見は通りにくく、欧州や南北アメリカなどの他の地域も近隣諸国での意見調整を活発に行い、国際会議において意見を強めようとしているからである。この意味で、日本は米国型の戦略よりも欧州型の戦略を志向し、アジア地域の意見の調整役として活動するべきである。 (2010年8月号、平松幸男氏、各国の技術標準化戦略と日本への示唆)



歴史に学ぶ


実は、この炭素繊維は産官連携の代表例である。昭和34年、大阪工業試験所(現、産業技術総合研究所)の進藤昭男博士がポリアクリロニトリル(PAN)繊維を熱安定化してから黒鉛化すると高強度の炭素繊維が得られるという基本技術を発明し、PANの重合と紡糸技術を持つ当社がライセンスを受けて世界で初めて商業生産につなげた。今で言うところの、オープン・イノベーションである。これまで当社では、経営の強い意志によって40年以上にわたり炭素繊維複合材料の研究・開発を継続し、スポーツ用途から産業用、そしてボーイング787に代表される航空機にまで用途を拡大するに至った。 (2009年1月号、榊原定征氏、巻頭言・科学技術が地球を救う)

昭和46年「アモルファス合金の研究」を学会等で発表しても、企業からの共同研究の申し込みは皆無の状況であった。昭和50年代に入って、アモルファス合金の研究成果を一般新聞と共同通信に発表することを積極的に行った。その結果、大学の研究成果が国内外に広く報道されるようになり、国内企業からの大学訪問が急増し、また外国企業(米国、西ドイツ等)からの問い合わせが相次いだ。そして、昭和52年、元科学技術庁所管の新技術開発事業団(現・科学技術振興機構=JST)から調査を受け、「委託開発事業」に申請することを依頼され、同年から企業4社(株式会社日立製作所、日立金属株式会社、松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)、ソニー株式会社)と5年間(昭和52~56年)の実用化事業を行い、続いて昭和55 年から新日本製鐵株式会社との委託開発事業(6年間)が実施された。 (2010年2月号、増本健氏、特集『実用化への志と喜び-語り継ぐ昭和の産学連携』アモルファス合金 官の支援「委託開発」で大企業と連携)

20年前「地域共同研究センター」として全国の大学に誕生した産学連携組織は、いま産学連携本部などとして形を変えつつ管理運営組織の一角を占めるまでに成長した。その組織内にはネットワーク形成機能、知的財産の管理・保護機能、そしてベンチャー企業育成機能を包含し、さらに産学連携研究のためのラボラトリー運営機能をも担っているケースが多く見られる。TLO組織との融合も進み、大学内部組織化や完全提携型に移行している。しかし、産学官連携業務がまだ完全に大学のミッションとして大学内で認知されるところまで成熟していないところに問題点が残っている。 (2010年2月号、荒磯恒久氏、連載『産学官連携15年(後編)』地域、グローバルを融合したイノベーションの創造)



大学の役割


昔、映画人たちは、決して映画の専門教育を受けていたわけではなく、映画会社の撮影所の現場でもっぱら鍛えられ育てられてきました。撮影所という場所は、映画を制作する工場であったばかりではなく、新しいアイデア、手法を編み出す研究所であり、若い才能をはぐくむ学校でもあったわけです。ところが、テレビ、そしてネットなど時代の趨勢(すうせい)とともに、かつての華やかな映画産業は衰退し、撮影所というシステムは徐々に崩壊、いまやほとんど以前のようには機能していません。では次の時代のために一体どこで映画人を育てるのか、今のままで映画業界はよいのか、という問題が提起されます。そこで登場するのが大学です。 (2009年5月号、安藤紘平氏、特集『育て新人 コンテンツ産業新潮流』産学連携でハリウッドに挑む—新しい映画人材育成)

全国の繊維系学科がことごとく消え、繊維業界へは一般の工学部の卒業生が入社するケースが増えた結果、繊維に全く興味を示さない新入社員に一から繊維技術教育をしなければならなくなり、企業も繊維教育の衰退を問題視しだした。日本化学繊維協会と繊維学会は同年(平成2年)、繊維学会長を団長とし産学官で構成する繊維欧米調査団を結成し約2週間にわたって欧州、米国の主要な繊維工学、衣服工学の学部や学科を持つ大学を訪問調査した。欧米では繊維は食と同じ重要な分野、どこの国でも「なぜ日本では繊維学が大学から消えていくのか理解できない」と一様に聞かれた。 (2009年7月号、白井汪芳氏、特集『多芸多才 繊維の素顔』国立大学唯一の「繊維学部」 信州大学はなぜ守り続けているのか)

今後地方大学が産学官連携を進めていく上で、人材の外部化が戦略として重要である。限られた体制の地方大学で、すべて大学内の人材で地域の課題や期待に応えていくことは至難の業である。地方において大事な戦略は、必要なときに支援してくれる外部の人材を柔軟に幅広くネットワーク化しておくことであろう。 (2010年3月号、小磯修二氏、地域の課題に向き合う —地方大学の挑戦—)

電気自動車とこれまでの内燃機関自動車の違いを技術的側面で見ると、1つは利用する科学的知識がより広範囲に及ぶことである。第2に、使う技術の選択肢が増えることである。そして第3に、応用技術が大きく発展する可能性を秘めているということである。これらのうち、まず第1の科学的知識という点では、これまでの車では機械工学の知識が主だったが、これに加えて電磁気学、量子力学等の知識を基盤とする物理学の総合的な成果が必要となる。また、多くの新しい化学技術の利用が可能となってくる。 (2010年11月号、清水浩氏、特集1『発進 次世代自動車』次世代自動車と大学の役割)



研究の作法


よく「挑戦的なテーマはオール・オア・ナッシング」と言う人がいますが、それを聞くと「ああ、この人は本当の研究をやっていないな」って思います。そんな研究などあり得ないからです。一生懸命やっていると、必ず新しい考え方やヒントが出てくる。物質は多面的だから、ある面で切ったら見えないかもしれないけど、別の視点で切れば、必ず新しい顔を見せてくれるんですよ。材料科学を縛るのは、世の中のために役に立つ、それを目指すことだけです。すぐに役立たなくても構わないけれども、いずれ必ず社会の役に立つことをする、それを目指すのが材料科学の最低条件なんですね。 (2009年6月号、細野秀雄氏、特集『産学官連携の新たな挑戦』材料科学の“新大陸”を発見 研究にオール・オア・ナッシングはあり得ない)

垂直磁気記録方式という研究テーマは、(略)磁気記録の基礎的な研究を段階的に追究していく中で、おのずと見つかっていったものです。いわば、水平の研究を極限まで突き詰めていく中でそれ以外に方法はないという形で出てきたテーマです。そのため垂直記録の原理、記録媒体、磁気ヘッドはすべて新しい発想に基づくものになりました。まさに日本の独創技術と言えることを、私は誇りに思っています。

世間では、私の垂直磁気記録方式の研究は、「世の中の流れがそうなっていて、最初から研究の目的が明確であった。だからそれなりの成果が出た」と思われているようですが、そうではありません。 (2010年4月号、岩崎俊一氏、特集1『ハードディスク革命 岩崎俊一博士の30年』磁気記録の研究を追究して生まれたテーマ -研究費に「成果」で応え社会貢献-)

新旧2つの免疫系が存在し、それぞれは別の独立した系である、というのが従来のパラダイムだった。新世界免疫の方が高度で優れた主役であり、旧世界免疫は原始的な影の存在だ、という暗黙の了解もできていた。ところが21世紀を迎え、審良教授がこの世界観をひっくり返してしまった。最も驚くべき新事実は、2つの世界は独立ではなく、旧世界つまり自然免疫が、新世界つまり獲得免疫の発動を支配している、という点だ。自然免疫もまた、個別反応の仕組みを備えていた。そして自然免疫の主要な骨格も、審良教授のグループ単独でほぼ100%解明してしまったのだ。(以上、聞き手:松尾義之氏の解説)

自然免疫に入ったのはまったくの偶然でした。もし免疫学を詳しくやっていたら、こんな研究はしなかったと思います。先日も、「お前はCpG-DNAを知らんからできたんや」って言われてしまいました。なぜかというと、CpG-DNA の受容体は「細胞質内にある」という前提で進んでいた。取り込まれた後に反応が起こるのだから、受容体は膜には存在せず、細胞質の中にあって、それがCpG-DNA と反応してシグナルが入る、と考えられていたわけです。そこで細胞質成分を精製しようとしていたが、誰もうまくいかなかった。ところが僕は、そういう知識がなかったから突き止めることができたわけです。 (2010年6月号、審良静男氏、インタビュー・免疫学の大革命が始まった!)

SiC(シリコンカーバイド)のデバイス開発の仕事は、エネルギーや環境負荷低減に関するものですから、特許を押さえて一企業とだけで実行できるものではありません。そのため、幾つもの国家プロジェクトの立ち上げに関与して、国レベルでの展開を図ろうとしました。アメリカ、ヨーロッパが先行していますが、今年から始まったわが国の国家プロジェクトはAll Japanで取り組むもので、川上、川下が一体となって、新時代パワー半導体技術を発展させたいと思っています。課題はオープンイノベーションの難しさですが、それを克服したく思っています。 (2010年12月号、松波弘之氏、インタビュー・低炭素社会支えるシリコンカーバイド デバイス実用化への道を切り開く)

*1
記事本数のカウントから編集後記は除いている。