2011年4月号
単発記事
“現代のエジソン”を顕彰する意義
顔写真

竹田 美和 Profile
(たけだ・よしかず)

名古屋大学 シンクロトロン光研究センター長
工学研究科教授


赤﨑勇先生の研究の成果は、3原色のうち唯一欠けていた青色の光を半導体光源で実 現し、白色を含めてあらゆる色を出せるようになったことに加え、広範なエレクトロ ニクスに展開できる窒化ガリウムという新しい材料を作り上げた「材料革命」にある。 大学の基礎研究が広大な応用へと展開され、その結果、大学に多額の収入をもたらす ようになった世界的に見ても希有(けう)な業績である。名古屋大学は「赤﨑記念研究 館」を建設し、先生の業績を顕彰している。同記念館1階は、誰でも見られる展示室 (LED ギャラリー)、3 ~ 4 階では、赤﨑記念研究センターや全学的な研究プロジェク トが次の世代を担う研究を展開している。最上階6階には赤﨑勇特別教授室や資料室 がある。大学と研究者、そして大学が研究者を顕彰する意義を考える。

赤﨑勇先生のことは、先生が松下電器産業(当時)の研究所にいらしたこ ろから存じ上げていたが、同じ化合物半導体を研究していたのでよく議論 にも応じていただいた。1991 年から私自身が、先生と同じ名古屋大学で 研究生活を送ることになった。国際会議の委員をしたり、研究面以外でも 親しくお付き合いさせていただくようになった。1992 年には名古屋大学 を定年退官され名城大学に移られ、その後も数々の国内外の重要な賞を受 賞されていたが、名城大学の現役の先生なので、名古屋大学にいる私とし ては、お祝いの一参加者という立場でいた。

しかし、1999 年にフランスのモンペリエ大学から授与されたHonoris Causa Title(名誉博士)の盾に、Professor Emeritus Isamu Akasaki, Nagoya University と書いてあるのを見つけ、こうした表彰は、その研究がなされ た時の所属先と人がセットで称えられていることにようやく気が付いた。 しかも、このHonoris Causa Title の授与はノーベル物理学賞受賞者の江崎 玲於奈氏、フォン・クリッティング氏らに次ぐものであった。これは、名 古屋大学としても先生のご業績を顕彰し、広く伝えるべきだと考え、まず は工学研究科のニュース誌『PRESSe』という冊子に「工学研究科の傑出し た研究成果」と題した記事を掲載していただくよう工学研究科長に原稿を 持ちこんだ。続いて全学の広報誌である「名大トピックス」 にも取り上げられ、名古屋大学の重要な成果と認識されるよ うになった。

赤﨑記念研究館を建設

赤﨑先生の研究業績が卓越していることは既に30 を超え る受賞・顕彰でも明らかであるが、それに加えて大学の基礎 研究が広大な応用へと展開され、その結果、大学に多額の収 入をもたらすようになった世界的に見ても希有(けう)な業 績である。

平成13(2001)年には赤﨑記念研究センターを設置し、記念行事として 豊田講堂の時計表示を青色発光ダイオード(LED)に替え、赤﨑記念研究セ ンターシンポジウムを開始した。小さい規模のシンポジウムではあるが、 このシンポジウムに招待され、先生の前で講演することは世界の同分野の 研究者にとって大変な名誉であると認識されている。

写真1

写真1 赤﨑記念研究館

また、平成16(2004)年の国立大学法人化に伴い、先生の業績に続く成 果が輩出される拠点となる施設を学内に作るべきだと主張し、総長も即断 され「赤﨑記念研究館」(写真1)を建設することになった。同研究館のコ ンセプトから具体的な配置プランづくりまで私も参加した。1 階に誰でも 見られる展示室(LED ギャラリー)を設け、半導体やデバイス、結晶成長 装置など世界に2 つとない貴重な実物をもって先生の業績を分かりやすく 展示した。また3 ~ 4 階では、赤﨑記念研究センターや全学的な研究プロ ジェクトが次の世代を担う研究を展開している。それだけでなく、産学官 連携推進本部とそれを支える社会連携課が入居し、「機能する」研究館と なっている。最上階6階には赤﨑勇特別教授室や資料室があり、数々の賞 とメダル、プラークが納められている。もちろん、ここから豊田講堂の青 色LED 時計台が見通せる。

広範に展開できる材料革命

先生の研究が大きな成果を生んだ背景については、すでに多くの専門家 が述べられているが、産業界へのインパクトが大きかった理由は、3原色 のうち唯一欠けていた青色の光を半導体光源で実現し、白色を含めてあら ゆる色を出せるようになったことが1 つと、LED に限らず広範なエレクト ロニクスに展開できる窒化ガリウムという新しい材料を作り上げた「材料 革命」にあると考えている。ガス灯が電球に代わった130 年後に電球を LED に代えたことから、米国には赤﨑先生のことを“現代のエジソン” と呼 ぶ人もいる。

赤﨑記念研究館1階の展示室に「青色発光ダイオードの研究開発史」(年表 参照)という大きなパネルがある。私が最も力を入れて作ったもの であるが、これを見ていただくと、赤﨑先生以外のグループの研究は 1970 年代に1 つのヤマ場がある。その後途切れ、再び活発になるのは 1990 年ごろからである。しかし、赤﨑先生のグループだけが、窒化物の 研究を一貫して行っており、それが1986 年の高品質単結晶の実現、1989 年のp型伝導の実現へとつながっている。一度やめてしまうと駄目なので ある。たとえ細くても研究を続けることが大事であることを教えてくれる。

窒化ガリウム関連の世界の発表論文数の推移と「Ⅲ族窒化物半導体材料・ デバイスの研究・開発における重要な成果」をまとめたのが図1である。 90 年代にこの分野の世界の研究が活発になり、発表論文数が激増するの は、赤﨑先生の研究成果がきっかけである。年間2ケタだった論文数が短 期間のうちに1,000 を上回るというのは驚異的である。実現不可能とみら れ世界の多くの研究者があきらめていた窒化ガリウムを、高品質単結晶に 仕上げ、p型伝導を発見しpn 接合を実現したことがいかに大きな業績であ り、エポック・メイキングだったかが分かる。

図1

図1 Ⅲ族窒化物半導体材料・デバイスの研究・開発における重要な成果

研究者の業績を大学が外に発信

前の話題に戻るが、研究成果を広く伝えることはますます重要になって いる。話題を集めた「事業仕分け」などはそのことを物語っていると思う。 研究者個人だけでなく、大学もその責任の一端を負っている。大学の中で は、研究者が他の研究者の業績を積極的に評価し、外に向かって発信して いくのはなかなか難しい。領域が異なっていても、ある意味でライバルだ からである。その意味でも、赤﨑先生の研究成果とその顕彰は、まだまだ 不十分な面もあるが、参考になるかと思う。

聞き手:登坂和洋(本誌編集長)



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図1