2011年7月号
単発記事
国際競争力強化に高度人材育成を
顔写真

永里 善彦 Profile
(ながさと・よしひこ)

社団法人 日本経済団体連合会
産業技術委員会 産学官連携推進
部会・部会長
株式会社 旭リサーチセンター
代表取締役社長

21世紀経済の主役は高度人材。欧米各国に加え、急成長しているアジア各国とのイノベーション創出競争を勝ち抜くためにも、不足している高度理工系人材の育成に取り組むべきである。産学官が問題意識を共有することの意義も強調する。

社団法人日本経済団体連合会(経団連)は2010年12月、「サンライズ・レポート」と題する報告書を発表した。1995年から2009年にかけてOECD諸国(日本を除く)は実質2.4%、名目6.0%の平均成長率を達成したが、この間、日本の成長率は、実質で年平均0.7%、名目では同0.2%であり、失われた20年という状況に陥っている、とし、日本は今、再び「日昇る国」として、新しい夜明けを迎えることができるか否かの瀬戸際に立っている、と危機感を訴えている。

そして、日本経済が将来にわたって成長を続けていくためには、「解決すべき課題」を出発点とする「課題解決型イノベーションモデル」の構築こそが、日本の進むべき道であると提示している。直面する多くの課題とは、地球温暖化、エネルギーや資源の制約、少子高齢化、地域経済の活性化などである。

イノベーション創出における重要な基盤が高度人材である。特に、近年加速化している高度かつ複雑な技術の統合に対応しうる、幅広い基礎学問領域を基盤として備えた高度理工系の学生である。こうした人材が企業で活躍することが、日本の成長にとって不可欠である。

【長期GDP推計が示唆していること】

元OECDチーフエコノミストのアンガス・マディソン(英国人、昨年4月没)は、過去2,000年間、すなわち紀元1年からの主要国別長期GDP推計(購買力平価換算)を行っている。これによると、およそ2000年前の、人類文明の誕生期には、中国とインドのGDPを合わせると世界の50%以上を占めていた。いずれも大国であった。

その後、西欧が産業革命を成し遂げ、工業化により1人当たりの生産性が急速に上昇したことから、この2国は沈んだかに見えたが、近年また勢いを取り戻し、2030年には、欧米と比肩する勢力まで復権する見通しである(図1)。

近年の中国、インドの高成長は、工業化は学習可能であり、途上国もいずれ追い付く(キャッチ・アップする)ことを示している。

図1

図1 世界GDPの地域別シェアの長期推移(1990年購買力平価ベース)

肉体を使う農業や、今日のように高度に発達する以前の工業においては、人口の多いことがGDP大国となる1つの条件だった。世界に先んじて少子高齢社会に突入した日本は、人口が減少しているが、救いは、21世紀経済の主役が、工業から情報・知識の生産・消費に移ろうとしていることだ。

農業の時代には土地が、工業の時代には資本が、それぞれ競争力の源泉だった。そして、情報・知識産業が主役の時代においては、情報・知識の生産に携わる高度人材こそが競争力の源泉である。

「博士」号はいかなる能力を保証するか

高度人材を生み出す大学院の現状はどうなのか。

中央教育審議会は今年1月末、「グローバル化社会の大学院教育~世界の多様な分野で大学院修了者が活躍するために~」という答申を発表した。この中で大学院教育の実質化(教育の課程の組織的展開の強化)に関する検証を行っている。全体として、大学院教育の実質化に向けた取り組みが着実に進展、としているものの、博士課程について次のような問題点を指摘する。

① 博士の学位がいかなる能力を保証するものかの共通認識が未確立

② 博士課程の教育が、個々の担当教員がそれぞれの研究室等で行う研究活動を通じたものにとどまる

③ 大学院が養成する人材像と産業界等の評価や期待に関する認識の共有が十分でなく、修了者の多様なキャリアパスが十分に開かれていないこと

つまり、学生が博士号取得までのプロセスや経済的負担、キャリアパスに関する十分な見通しを描くことができないことが大きな課題である。

特に、③の大学院が養成する博士と、産業界が求める人材とのミスマッチは深刻な問題である。

養成される人材と産業界が求める人材のミスマッチ

産業界と大学、経済産業、文部科学両省が産学の双方向の対話、人材育成の取り組みの場として「産学人材育成パートナーシップ」を創設している。ここにおけるヒアリングで、産業界、大学から以下のような声が上がっている。

【産業界】

・インターンシップで米国有力大学の大学院生を使ったが、ある化成品を生産するプラントを設計せよという課題を与えると、単なるプラント設計だけでなく、エネルギー収支、コスト分析、特許分析などまで含めたトータルの最適設計をしたレポートを作成。日本の大学生では考えられないレベルであり、教育システムの差で知っている範囲が全然違っている。

・米国のドクターは知識ベースが広いのに比べて、日本はあまりに専門化・タコツボ化し過ぎていて、テーマが変わると適合できない場合が多い。米国有力大学卒のドクターのエンジニアは、企業で即戦力となる広い知識を持っており、専門知識以外適応できない日本のドクターとは格差あり。

【大学】

・学士・修士・博士等の学位取得者の採用・処遇に関し、産業界は、それぞれの学位の種類に応じた取り扱いがなされるよう、十分に配慮すべきだ。例えば、博士課程の質的向上に関する大学の努力と博士号取得者に対する企業側の処遇・活用の努力とは、同時並行的になされなければ無意味。

・大学は、自主性・自律性を備えた公共的な機関であり、その目的は、単なる職業人養成に止まるものではない。特にボリュームゾーンである学士課程教育は、自由で民主的な社会を支え、その改善に積極的に関与する市民、生涯学び続ける学習者を育むこと、知の世界をリードする研究者への道を開くこと等の重要な役割・機能を担っている。

表1

・科学・工学系博士号取得者数の国際比較
米国 中国 ドイツ 英国 日本 韓国
28,000人 14,900人 12,200人 9,400人 7,700人 3,500人
(出所)NSF「Science and Engineering Indicators 2008」
・高等教育修了者人口に占める流入外国人の割合
オーストラリア カナダ 英国 米国 フランス 日本
29% 26% 16% 13% 12% 0.7%
(出所)経済産業省「通商白書2008」
・留学生受入れ比率*
米国 英国 ドイツ フランス オーストラリア 日本
5.8% 25.7% 12.4% 11.7% 28.6% 3.5%
(出所)独立行政法人日本学生支援機構「平成21年度外国人留学生在籍状況調査」
(注)留学生受入数/高等教育機関在学者数

人材育成において教育界が注力している点と産業界が期待している点が必ずしも一致していないことは、高度人材の質の問題だが、わが国の高度人材育成は量的な面でも不足している。

日本における科学・工学系博士号取得人材の数は、7,700人と米国の4分の1であり、人口の少ない英独よりも少ない。日本の高等教育修了生に占める外国人留学生は圧倒的に少なく、留学生受入れ比率も主要国で最下位となっている。当然、労働市場における外国人高度人材の受け入れも遅れている(表1)。

急がれる大学院教育の強化

前述の中央教育審議会の答申は、大学院教育改善の方向性を示している。

グローバル化や知識基盤社会が進展する中、大学院教育の強化は一刻の猶予も許されないとして、次の2つに力点を置くことが必要としている。

① 産学官が協力し国内外の多様な社会の要請に的確に応える開かれた体系的な教育の展開

② 社会人や外国人学生を含む多様な学生が将来の見通しを持って互いに切磋琢磨(せっさたくま)する環境の整備

社会人の場合、確固たる問題意識を持って大学院に入るので、大変意義のあることだと私は考えている。

経団連では、企業の採用実績から「優れた教育をしている」と実感している教育事例を調査、グッド・プラクティス事例として公表することとしている。同調査によれば、企業が高度人材に求める能力を簡潔に記すことは難しいものの、以下の能力が共通する要素として明らかになっているとしている。

・基礎科目を体系的に修得している/専門領域だけではなく、周辺領域についても幅広く学んでいる

・産業界で必要とされている実学(設計演習、技能演習等)を修得している/産業化を強く意識したテーマについて研究している

・ディスカッションを通じて他者とコミュニケーションをとることができる/高いプレゼンテーション能力を有する

大学が新しいカリキュラム

これからの大学・大学院教育は、オリジナリティーを追う研究に加えて、ビジネスに関わる創造的研究で人類に貢献すべきである。後者に重きを置いた新たな教育カリキュラムの開発が必要とされていると言えよう。

この点に関して、京都大学は昨年12月末に5年一貫・学寮型の新しい「リーディング大学院」構想を発表した。カリキュラムとしては、「1・2年目は専門教育を受け、3年目は医薬生命、理工、情報環境、法律政治、経済経営、人文・哲学、芸術、語学の8分野を必修として学ぶ。4年目には海外留学、5年目に短期のインターンシップや博士論文の作成を行う」。このようなカリキュラムが実施されれば、高度の専門性を有するが視野が狭くて企業人としては使いにくいと評価されていた従来の博士号取得者とは異なり、産業界からも歓迎されるような視野の広い人材が育成され、ポスドク問題の解決にも役立つものと期待される。

そして、早稲田大学理工学術院もまた、産業界で活躍する実践的な博士人材を生み出すことを目的に、新たなカリキュラムを開始した。

昨年6月に策定された政府の『新成長戦略~「元気な日本」復活のシナリオ~』においても、イノベーションをけん引する人材の重要性が認識されている。また、第4期科学技術基本計画の策定に向け、昨年12月に公表された答申「科学技術に関する基本政策について」でも、「人材とそれを支える組織の役割の一層の重視」を掲げ、人材の育成・確保に重点的かつ横断的に取り組むべきと強調している。

産業界の経験を吸い上げて、大学の国際競争力をつけることが必要であり、ビジネスの実状に詳しい産業界出身の教員を強化すべきである。時代のニーズに対応できるよう産学官が連携を深め、日本復興を確実にするために、高度人材育成の取り組みを早急に具体化することが求められる。