2012年9月号
特集 - 新産業創造
イノベーション創出に向けた特許戦略 ―CLBO結晶の特許紛争で学んだこと―
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森 勇介 Profile
(もり・ゆうすけ)

大阪大学大学院工学研究科 教授



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吉村 政志 Profile
(よしむら・まさし)

大阪大学大学院工学研究科 准教授



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佐々木 孝友 Profile
(ささき・たかとも)

大阪大学名誉教授
大阪大学光科学センター 特任教授


先出願主義の特許制度を持つ日本、欧州と異なり、米国では2011年まで先発明主義が採用されていた。この制度の違いにより、米国で特許紛争を経験した筆者らが、研究者にとっての特許の重要性と、基礎研究をイノベーションにつなげていくための「公的な特許支援制度」の必要性を説く。

写真1 無機非線形光学結晶(CLBO)結晶

1990年代の初め、大阪大学佐々木研究室(現在は森研究室)では、レーザー核融合実験に必要な短波長レーザー光を波長変換で得るための大型KH2OPO4(KDP)結晶開発からの流れで、紫外レーザー光発生を目的として、波長変換結晶の開発を行っていた。波長変換で得られた全固体紫外レーザー光は、加工性・集光性が優れていることから半導体基板やプリント基板の超微細加工、半導体リソグラフィー用のマスクや半導体ウエハ表面の超精密検査等の分野で大きな市場がある。高出力紫外光発生では、レーザー発振器の高性能化も重要ではあるが、波長変換結晶の特性が鍵を握ると言っても過言ではない。1993年に、われわれは紫外光発生特性が最も優れている波長変換結晶CsLiB6O10(CLBO)(写真1)を発見するという幸運に恵まれた。ここでは、このCLBO結晶を実用化していく過程において、米国での特許紛争を体験し、特許の怖さを実感するとともに、イノベーション創出に向けた特許戦略のポイントを学ぶ貴重な体験をした。その一端をここでご紹介させていただく。

先出願主義と先発明主義

米国の特許制度は、先出願主義の日本・欧州と異なり、2011年まで先発明主義が採用されていた。すなわち、誰かが特許を出したとしても後から、それはこちらが先にやっていたと主張すれば通ってしまう可能性があった。筆者らは、この制度の違いにより、国際的な紛争に巻き込まれた。幸い、われわれの正当な主張が認められたが、一歩間違えば研究者の名誉や国益を損なう悲惨な事態に陥っていた可能性もあった。

当時、佐々木教授が4年生の卒論テーマとして新しい波長変換結晶の探索を取り上げたことが、この物語の始まりである。新結晶が見つかる保証はもちろん無いが、現存の非線形結晶では紫外光発生特性が悪かったので、とにかく新しい材料探索に挑戦しなければ始まらないという状況であった。非常に幸運なことに、研究開始後すぐの1993年9月にCLBOを発見することができた。X線回折パターンが新しいということで、新結晶ということは分かるが、非線形光学特性は結晶を育成して吸収端と複屈折率を測定するまでは分からない。数カ月後、非線形光学特性が測定できるほどの結晶が育成でき、紫外光発生に関する波長変換特性は当時最も良いとされていたBBO(β- BaB2O4)よりも優れていることが明らかとなった。

発見当初は基本特性は良いものの結晶がすぐ割れたので、実用化という点では課題山積で先が見えない状況ではあったが、せっかく見つけたのだからと、一歩一歩、地道に研究を進めていった。

1994年になって、当時の新技術事業団(現・科学技術振興機構=JST)の井上邦弘部長が何か良い特許のネタはありませんか、と研究室を訪ねてこられた。井上部長はCLBO発見の情報を知っておられたわけではなく、以前に委託開発制度でKDP結晶の大型化に成功した佐々木研究室に行けば何かあるかもしれない、という期待感で来られたと聞いている。直ちにCLBOを特許化することになり、1994年7月にJST有用特許制度(大学法人化により廃止)により出願した。出願後、応用物理学会と人工結晶討論会で発表し、1995年1月に開催されたASSL(Advanced Solid-State Lasers)と呼ばれる固体レーザーの国際会議で発表した。

オレゴン州立大学教授が特許を出願

問題はこの後に起こった。オレゴン州立大学の某教授が1995年10月26日にCLBOの特許を出願したのである。当時の米国の特許制度は先発明主義だったので、われわれの発表を知ってから、自分はそれよりも前に研究していたと主張して通れば、特許化できるのである。この制度の当時の問題点は、先に発明したと主張できるのは米国人だけで、外国人は出願日が発明日になるということにある。

結局、われわれの特許は1995年7月に米国出願していたにもかかわらず、某教授の特許の方が早く成立してしまった。驚くべきことに、先発明の証拠は無く、某教授の宣誓書(大阪大学よりも前から研究していたことは本当だという旨の)が提出されただけであった。某教授は、ボレート系材料の構造決定が専門で、レーザーは素人。今回のCLBOに関する特許には紫外光発生など結晶育成とレーザー評価ができないと分からないことまで記載してあった。仮に、CLBOという組成は彼らが独自に見いだしていたとしても(この件については今でも分からない)、紫外光発生特性に関しては、われわれのASSLの発表で知ったとしか思いようが無かったのである。

このままでは悔しくて引き下がれないので、何とか逆転の方法を考えた。いろいろな方を通じて特許の知識を得ていったところ、先発明主義を成立させる要件に、公知になってから1年以内に特許を出願していないと、先発明とは見なさないという条件があるという話を聞いた。自分たちの発表時期を調べ直すと、応用物理学会で1994年9月20日に、人工結晶討論会で1994年10月19日に発表していた。これは、某教授の出願日よりも1年以上早い。

これらの学会の証拠と併せて1993年9月に発明していたことが明記されている実験ノートを準備して、われわれの特許が審査される日を待った。審査されると自動的に某教授の特許との抵触が明らかになるので審査官からクレームが来る。その時に、こちらは準備していた証拠を提出するという作戦である。事前予想では、いかなる証拠があっても審査は米国でされるので五分五分とのこと。この間は、学会でも結局CLBOの発明者は某教授ではないかと言われるなど、悔しい日々が続いた。こちらの特許が成立しないと全てを失うという思いがだんだんと強くなっていく。ハラハラしながら待っていると、2001年の春に、われわれが勝ったという知らせが届き、何とか事なきを得ることができた。ここで勝つと負けるとでは本当に大違いである。この件では弁理士の西澤利夫先生をはじめ、JSTの方々に大変お世話になった。

必要な強い支援制度

現在、国内はもちろんのこと、海外のレーザーメーカーや紫外レーザーのユーザー企業が数多く大阪大学を訪れている。特許紛争で負けていたらこうはなっていなかったのではと思う。相手の接する態度から、特許が成立したからこそ、われわれをCLBO結晶の正統な発明者ということで敬意を払ってくれているのが分かる。この出来事から、研究者にとっては自分の成果を特許化することが非常に重要であること、および基礎研究をイノベーション創出につなげるR&Dの輪の中で活躍するためには特許は必要条件、ということを実感している。

その後、われわれは、高精度構造解析のためのタンパク質結晶化技術を開発し、大学発ベンチャーである株式会社創晶を2005年7月に設立した。新規結晶化技術の特許は、JST有用特許制度が廃止されていたので、大阪TLOから出願したが、大阪TLOが解散し、紆余(うよ)曲折あって現在では創晶が特許を所有している。ベンチャー企業では、基本特許を大学や国等が保有していないとビジネスにならない。一方、運営費交付金が削減される中、大学の特許出願力は低下してしまっている。特許紛争やベンチャー設立の経験から、基礎発見をイノベーションにつなげていくためには、以前のJST有用特許制度のような財政基盤がしっかりした組織による強い支援制度の構築といった、イノベーション創出を支援する新しい“政略”が必要と強く思う次第である。