2015年8月号
特集 - 独自技術を活かす
鉄鋼インフラの長寿命化に資する
さびの科学と反応性塗料の創製
顔写真

山下 正人 Profile
(やました・まさと)

株式会社京都マテリアルズ
代表取締役


「さびをもって、錆を制す」というユニークな発想のもとに反応性塗料は生まれた。発想を製品化するまでの道のりは、どのようなものだったのか。

株式会社京都マテリアルズ(以下「当社」)は、大学で培われてきたマテリアルズ・サイエンスの基礎的知見を、実用技術として市場に出すことを目指す大学教官経験者らが中心となって創業された。現在は、セラミックスなどの難加工材料向けの精密超硬金型の製造を行う精密マテリアル事業部と、鉄鋼部材の長寿命化を図る反応性塗料を展開する環境マテリアル事業部の二つを柱に活動している。

環境マテリアル事業部で扱う反応性塗料は、鉄を地球環境で本来安定な鉄鉱石に戻すという独自の発想から生まれた。鉄鋼表面に防食性の高いさび“patina*1”を育成することにより鉄鋼の長寿命化を図ったのである。ここではこの反応性塗料の研究開発ストーリーを述べる。

さびとの出会い

写真1 製鉄所研修時の筆者(左)

ほぼ四半世紀前にさかのぼるが、筆者は鉄鋼メーカーで企業研究者としていくつかの研究を開始した。写真1は製鉄所で研修した際の一コマである。ここで研究を開始する前に現場を経験したことが、技術の実用化検討の際や、後に大学の講義を担当した際に大変役立った。

ここでの研究テーマの一つが大気環境で鉄鋼に生成するさびの研究であったことが、さびとの出会いであった。さびは身近な物質でよく見掛けるが、研究対象となると、どのように手を付ければよいか悩んだ。とりあえず大学院生時代に行った結晶学的アプローチを、腐食防食の分野に取り込むことにトライした。やってみると、さびの結晶構造に関して多くのことが分かってきた。そうなると研究が面白くなった。この時期には、「産」の立場で産学連携も実施し、室蘭工業大学材料物性工学科の三澤俊平教授には大変お世話になった。その後、兵庫県立大学の教官としてさびの研究に没頭することになった。

兵庫県立大学では、大学研究者として、当時供用を開始した兵庫県にある大型放射光施設SPring-8(写真2)や、つくば市にある放射光科学研究施設Photon Factoryを利用させていただく機会に恵まれ、大型放射光施設を使って原子レベルでさびの構造を研究する日々が続いた。当社の花木宏修研究主席(大阪大学大学院客員准教授兼務)は同じ研究室のスタッフであった。大学では、現在とは逆の「学」の立場で外部との共同研究に携わった。異なる立場から産学官連携を眺める経験ができたことは、現在の業務に生きていると感じる。

写真2 大学院生とのSPring-8での実験

この期間中は、ミネソタ大学腐食研究センターのR. A. Oriani教授やオールド・ドミニオン大学物理学科のD. C. Cook教授とも研究を進めた。Cook教授は当社のリサーチフェローとして現在も一緒に研究を行っている。

さび構造の基礎的知見

大学での研究では、大気腐食により鋼材に生成するさびの構造を詳細に調査した。その結果、それまでよく知られていなかったさびの性質が明らかになってきた。まず、さびの構造は数十年から数百年という長い時間をかけて変化することと、大気中ではオキシ水酸化鉄の複数の異性体が主要構成物質となるが、時間の経過と共にα相のゲーサイト(α-FeOOH、針鉄鉱)に安定化することが解明できた。また、さびの結晶構造にさまざまなイオン種が包含されたり、吸着することにより、ナノ結晶化したり、イオン選択透過性を発現したり、さらにはさびの色調変化を伴うなど、さびの多様な特性が生ずることが明らかになった。これらは物質科学的な基礎知見であるが、後の応用研究の際にこの経験が生きることになる。

基礎研究から応用研究へ

このような基礎研究経験から、さびの構造を積極的に変化させることにより、鉄鋼の防食性を向上させることが可能ではないかとの発想に至った。鉄がさびることは、そもそも自然の姿(鉄鉱石)に戻ることであり、水や酸素の存在する地球環境では自然の摂理である。すなわち、鉄がさびるのは、鉄を人工的に活性な金属状態にしたからであり、その表面を安定状態のさびに戻してやれば、原理的にはその後変化することはない。

そこで、さびを制御することで鉄鋼の防食性を向上させる技術の実用化を考えた。今から思うと大学人の立場でもこのプロジェクトを実施することはできたのかもしれないが、実用化するために越えなければならないハードルが多数あることは、企業研究者の経験からよく分かっていた。そこで起業し、実用化を目指すことにした。

反応性塗料の創製

さびに関する研究経験を基に、さびを制御するという全く新しい技術へのチャレンジを起業研究者として当社で開始した。企業として事業を始めるには、研究開発のみならず、経理事務や労務など、さまざまな対応が求められることをこの時痛感した。幸い、京都市や京都高度技術研究所、当社が入居している「京大桂ベンチャープラザ」を運営する中小企業基盤整備機構をはじめ、さまざまな機関の多くの方々の支援により企業の機能を維持することができた。また、研究面では京都大学や大阪大学の協力も得られ、再び「産」の立場での産学連携の機会が得られた。

さびを制御する塗料の開発のために、さまざまな化合物を検討した。選定した化合物を塗料に添加することで、「さびで錆を制す」反応性塗料“Pat!naLock”を創製した。反応性塗料は表面に防食性の高いさび“patina”を形成するので腐食は極めて少なくなる。写真3に示すように塗膜に欠陥が生じても、“patina”によりその部分を選択的に防食することもできる。これはすでにさびている場合でも適用可能であるため、塗膜の長寿命化が望める。

写真3 左端のさびた鋼板に反応性塗料を塗布して×形の傷をつけ塩水噴霧した(中央)。右端は同時に実験した従来の重防食塗料塗布鋼板。

現在は、商社との連携も開始し、反応性塗料を実用化できる体制ができた。写真4に反応性塗料の適用例を示す。

写真4 反応性塗料の適用例。(a)送電鉄塔、(b)プラント設備(株式会社竹中工務店施工)、(c)京都市の公共工事(照明鉄塔)。

産・学でさまざまな経験をすることができたことは、研究開発や大学での学生教育、さらには起業の際に大変有益であったと思う。産学官連携の重要性に疑う余地はないが、異なる立場に立ってさまざまな事象を眺める経験も有効であると思う。人材交流も含めた産学官連携がより活発になることが、わが国の発展に寄与するものと確信する。

戦後から現在に至るまで鉄鋼を材料とする構造物が累増している。高度経済成長期に集中的に整備された鉄鋼構造物の老朽化が、今後急速に進み、維持管理のための再塗装などの膨大な費用と労働力の負担が課題になると予想されている。独自の技術コンセプトに基づいて鉄鋼材料のさびを防ぐ反応性塗料Pat!naLockが、新設のみならず、すでにさびが発生している既設の鉄鋼構造物の長寿命化に貢献できれば、企業・大学・起業それぞれの立場で産学官の方々に支えられて継続してきたさびの研究を社会に役立てることにつながるのかなと考えている。

*1
経年変化や使い込みによってできる味わい深い表面、色、雰囲気などを表す言葉。反応性塗料が作る防食性が高いさびの呼称として用いた。