2017年3月号
単発記事
ショウジョウバエが先導する生命科学研究
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高野 敏行 Profile
(たかの・としゆき)

京都工芸繊維大学 昆虫先端研究推進センター
ショウジョウバエ遺伝資源研究部門 部門長(教授)

コミュニティーに共有されるショウジョウバエ遺伝資源

20世紀初頭より、キイロショウジョウバエ(学名Drosophila melanogaster)は、モデル生物として世界中の多くの研究者の研究材料となってきた。そもそもの契機は、トーマス・ハント・モーガンと彼のグループが集めた突然変異にある。白眼のハエをつくるwhite遺伝子変異をはじめ、多数の遺伝子の突然変異が作られ集められた。

こうした突然変異系統の蓄積が、その後の研究の発展につながる。新たな知見や発見は発表された論文で研究者間で共有することができるが、突然変異系統などの研究資源は、作出者が捨ててしまえば二度とつくれないものもある。そこで、こうした貴重な系統を1カ所に集め、効率的に維持し、研究コミュニティーで広く共有しようと、ストックセンターが設立された。当初は欧米にしかなかったが、国内でも生命科学の推進・国際貢献の観点から、ストックセンター設立の機運が高まり、1999年に当時の文部省の省令施設として、 京都工芸繊維大学内にショウジョウバエ遺伝資源センターが設置された。その後2016年6月に、大学内の他の二つのセンターとともに、より包括的に、組織的に研究・教育を進めるための昆虫先端研究推進拠点へと改組され、KYOTO Stock Center(以下「センター」)*1として事業活動を続けている。現在、センターは約3万系統を保有し、国内外の研究者に提供している。過去5年をとっても、延べ43カ国に、約6万4000系統を提供してきた。これからも世界4大ストックセンターの一つとして共同利用・共同研究拠点の責務を果たしていく。

ショウジョウバエは比較的容易に飼育できる生き物だが、常に継代維持する必要がある。手間も掛かる上、突然変異などによる変質が起こる可能性も否定できない。そこで、昨年から筑波大学の研究グループと凍結保存技術の開発・応用を目指した共同研究を開始した。この技術開発は、ゲノム編集技術と相まって、生命科学研究のさらなる推進に貢献できると期待される。

ショウジョウバエ研究を取り巻く状況

ショウジョウバエはモデル生物として、遺伝、発生、生理・行動、進化などの多岐にわたる分野で基本法則の発見に貢献してきた。今後もこの貢献は続いていくことは間違いない。一方で現在、じかに応用、一般社会につながる研究を重点的に支援する動きがコミュニティーに不安の影を落としている。基礎研究が下支えになり、応用へつながる研究が花咲く。

基礎研究をないがしろにする風潮は、薄っぺらい、うわべの成果、科学への信頼の崩壊につながりかねない。私たちは着実に成果を積み上げていくと同時に、基礎研究を広く、手厚く支援すべきことを訴える。その中から思いもかけないお宝セレンディピティ研究が生まれてくるはずだ。

ヒト化ショウジョウバエ研究の目指すもの

ゲノムからゲノム編集へと時代は目まぐるしく動いている。この20年は、生物種という枠の概念を大きく変えたといえる。塩基配列、修飾や制御タンパク質の結合の有無など、ゲノムの状態や活性を化学用語、物理用語で記述できるようになった。種という枠を超えて、同じ言葉で比較が可能になったといえる。

私たちのヒト化ショウジョウバエは、ヒトゲノムの機能をより網羅的に、徹底的に解析するために作出している研究資源である。ヒトの遺伝子や発現制御の候補配列など、ヒトゲノム断片を組み込んだ組み換え体ショウジョウバエ系統は、一過性の解析ではなく、繰り返し実験に使用することができる。測定精度を上げるだけでなく、スクリーニングなど他の研究資源との組み合わせ解析に利用できる。

ヒト化ショウジョウバエプロジェクト

現在、京都大学のグループとの共同研究で、がんドライバー遺伝子を組み込んだヒト化ショウジョウバエ系統を作出している。がん細胞ゲノムの塩基配列から、頻繁に突然変異する遺伝子はがん化を誘導するドライバー遺伝子としてリストアップされていて、その数は数百に上る。しかし、こうしたドライバー遺伝子の突然変異が単体で、あるいは組み合わせによってどのように細胞をがん化へ導くのか詳細が分かっているものはまれだ。また、遺伝子の本来の機能についても解明されていないものばかりである。

私たちは、組み合わせ解析、スクリーニングによる相互作用遺伝子の探索などを通してドライバー遺伝子の機能解明を目指している。また、多くはショウジョウバエにオーソログ(相同遺伝子)が存在する。ヒトとハエ遺伝子の比較解析により、分子機能の違いや進化可能性について理解を深めたい。

ショウジョウバエによって、ヒト超保存配列の(多様な組織の)発現誘導能が把握しやすくなる。

細胞や組織間の相互作用を発見・検証

ショウジョウバエは、モデル生物として多くの優れた形質をもつ生き物だ。特に、脊椎動物では困難な大規模スクリーニングなどに力を発揮する。こうしたスクリーニングには培養細胞も有効だが、生体での検証は絶対に必要だ。実際、私たちの体は、多様な細胞が生まれ、集まり、相互作用する中から発生する。複雑な相互作用は予想もしない結果を生むこともある。ショウジョウバエには、特定の一部の細胞だけを突然変異化することができる豊富なツールが用意されている。これを使って遺伝子や分子だけでなく、細胞や組織の間の相互作用を発見、検証することができる。

一方で、パーソナルゲノムや付随する表現型の情報はヒトにおいて圧倒的スピードで蓄積されている。ことしに入って、20万人を超えるヒト情報を使った関連解析から、外向性や神経症的傾向などの“気質”の個体差に関わる遺伝子座が報告された。今後、複雑性疾患とともに、複合的で、原因が多様であり、しかも環境の影響も強く受ける性質の個体差を読み解く試みは加速するだろう。しかし、それぞれの突然変異の効果は小さく、正しく検証、評価するには測定実験の繰り返しが欠かせない。さらに重要なことは、数百から数千にも及ぶ他の変異との相互作用の効果の検証だ。今後、ますます増加する相関から示唆される変異の評価に、ヒト化ショウジョウバエは欠かせない生きたモデル系となる。

*1
KYOTO Stock Center(DGRC)
www.dgrc.kit.ac.jp